|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ フィル : [ふぃる] 【名詞】 1. fill 2. (n) fill ・ フィルム : [ふぃるむ] 【名詞】 1. film 2. (n) film ・ 生 : [せい, なま] 1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed ・ 生き : [いき] 【名詞】 1. freshness 2. stet
『フィルムは生きている』(フィルムはいきている)は、手塚治虫による日本の漫画作品。1958年から1959年にかけて、学習研究社刊行の『中学一年コース』と『中学二年コース』に連載された。 アニメーション映画作りに夢と情熱を傾ける若者の姿を描いた青春漫画作品。登場人物や設定は小説「宮本武蔵」をモチーフにしたものとなっている。また、発表当時日本では馴染みの薄かったアニメーション制作について読者に解説する一面も持ち合わせている。 == ストーリー == 地方から大都市に出てきた青年・宮本武蔵は、マンガ映画を作ることを夢見ながら、街頭で似顔絵を描いて暮らしていた。武蔵はアニメ制作会社への入社を申し出るが、ベテランアニメ作家・壇末魔から「絵の動きが死んでいる」と評されかなわなかった。似顔絵描きをしているときに出会った佐々木小次郎が、やはりマンガ映画を目指していると知って意気投合し、二人は同居を始める。共同でマンガ映画を作ろうとしたが、どちらの作ったキャラクターを主人公にするかで対立し、喧嘩別れしてしまう。 武蔵は一人でマンガ映画制作を目指し、独力で原画を5万枚描き上げた。しかし、その矢先、似顔絵描きでヤクザの本位田組員に因縁を付けられ、組長の娘・通に助けられるものの、通を連れ戻しに来た組員から家に火を放たれる。その事件がきっかけで、200万部を誇る雑誌『少年パック』の編集長から寄稿を依頼された。武蔵が描いた漫画は一番人気を取った。それを祝う席で武蔵は漫画家の宍戸梅軒から「マンガ映画を無理に捨てた武蔵は、自分の心を殺したぬけがらだ」と指摘される。武蔵は、自殺未遂で入院した壇末魔のもとに通って再び動画の描き方の指導を受け始めた。だが、放火事件のときに角膜を炎にさらした影響で、武蔵の視力は低下していた。 人気漫画家となっていた小次郎は偶然武蔵と再会し、マンガ映画を作る志を忘れたかと問われる。小次郎は武蔵の視力低下も知り、病院で武蔵が最悪で3年以内に失明すると医師から告げられた。小次郎は資産家の親からマンガ映画の制作を認められ、漫画を捨ててマンガ映画に打ち込む。視力低下に苦しむ武蔵に、亡くなった壇末魔からベートーヴェンの伝記の中の「ハイリゲンシュタットの遺書」の箇所を読めという遺言が届く。難聴を克服したエピソードを自らに重ねた武蔵は再びマンガ映画制作に乗り出した。小次郎と武蔵は同じ日に封切られるマンガ映画で、観客に優劣を投票してもらい勝負をつけることになった。封切り当日、投票の数字は武蔵の作品が上回った。それでも強がっていた小次郎だったが、武蔵が完全に失明していたと知って負けを認め、二人は揃って武蔵の作品が上映されている映画館に入るのだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィルムは生きている」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|