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フィル・マンザネラ(Phil Manzanera、1951年1月31日〔 -)は、イギリスのロックミュージシャン、ギタリストで、ロックバンド ロキシー・ミュージックのレギュラー・メンバーとして、またソロ活動、レコード・プロデューサーとして活動〔〔。 == 人物・経歴 == マンザネラの母はコロンビア人、父はイギリス人で、ロンドンで生まれ、幼少・少年時代を主にキューバやベネズエラで過ごし、キューバで暮らしていた6歳のときにスペイン・ギターを手にする。キューバ革命の大変動期の頃はキューバ・フォークソングを好んで演奏していた。子供時代に体験したキューバ革命の衝撃はマンザネラの音楽性に影響を与える。その後マンザネラはベネズエラで暮らしていた8歳のときにエレクトリックギターを始める。10代の頃は1960年代のロックンロールとラテンアメリカのリズムを融合することに夢中になっていた〔。 マンザネラがエレクトリックギターに目覚めたのはジミ・ヘンドリックスの影響である。1970年になるとジャズ・ロックバンド クワイエット・サン(Quiet Sun)を結成し〔、1971年の夏にはロキシー・ミュージックのリードギタリストとして活動を始める〔。当初はロキシー・ミュージックのオーディションでは落ちており、その才能を買われてミキシング担当として採用されていたが、合格したギタリスト(デヴィッド・オリスト)が脱退した為に、彼が正規のギタリストに昇格したと言われている。ブライアン・イーノ脱退後のロキシー・ミュージックにおいて、マンザネラのギター演奏の風合はイーノの電子音の風合を補うのに十分であった〔。 1975年には初のソロ・アルバム『ダイヤモンド・ヘッド』(Diamond Head)を発表する。このアルバムにはアンディ・マッケイやブライアン・イーノ、ジョン・ウェットンなどロキシー・ミュージック関係者が参加している〔。 1976年になると、イーノらとともに801を結成する。その後もソロ活動を続け、1978年に『K-スコープ』(K-Scope)、1982年に『プリミティブ・ギターズ』(Primitive Guitars)、1990年に『サザンクロス』(Southern Cross)を発表する〔。また、ジョン・ウェットンとの連名のアルバム『ウェットン・マンザネラ』も発表している。 1990年代は世界中で活動する。スペインのセビリアで開催された『Guitar Legends』では音楽監督を務め、またギタリストとしてボブ・ディランやキース・リチャーズらと共演した〔。1999年に発表したソロ・アルバム『ヴォセロ』(Vezero)はラテンアメリカ色の強い作品となった〔。 2001年にはロキシー・ミュージックとしてワールド・ツアーを行った〔「Roxy Music World Tour 2001」より。〕。2005年に発表したアルバム『50ミニッツ・レイター』(50 minute later)にはブライアン・イーノも参加している〔。 また、この頃よりデヴィッド・ギルモアのソロ・ライヴのメンバーとなり、多くのライヴ活動に参加し、その映像も多く残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィル・マンザネラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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