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フィン人/スオミ人(フィンランド語: suomalaiset)は、北ヨーロッパに居住する民族の一つ。居住域は「フィンランド」と呼ばれ、現在のこの地域にはフィンランド共和国がある。フィンランド国民(フィンランド人)を構成する主要な民族である。 == 概要 == フィン人は主にフィンランド語を話すが、この言語はヨーロッパの他の民族の言語がインド・ヨーロッパ語族に属するの対して、ウラル語族である。ヨーロッパにおける言語島の典型(ハンガリーのマジャル人、スペインとフランスのバスク人など)。フィン人は、身体的形質こそスウェーデン人やノルウェーなどと同様に典型的なゲルマン系の容貌とされる金髪碧眼が多い北ヨーロッパ系コーカソイドに属しているが、言語的にはルーツが明らかに異なり、ゲルマン系どころかインド・ヨーロッパ語族とすら大きな隔たりがある。 言語学的な見地から見えることはエストニア人ともっとも近く、次いで近縁にあるのがサーミ人である。フィンランド湾を挟んだフィンランド・エストニア間の往来が活発な現在のフィンランド語はエストニア語とは通訳なしで通じるのに比べて、サーミ語とは全くと言っていいほど言葉が通じない。 遺伝学的には母系のミトコンドリアDNAはヨーロッパの民族にみられるハプログループH、U、J、Tが多いが、古いヨーロッパの民族のミトコンドリアDNAを多く保有しているとされる。一方、父系のY染色体ハプログループは北アジアのモンゴロイドに広範にみられる系統のハプログループN (Y染色体)に属するN1c が圧倒的であり、このハプログループN系統は北東アジアで生まれ、シベリアを経由しヨーロッパまで分布を広げていったとされる(N系列は遼河文明人からも発見される〔 Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216 〕)。フィン人のY染色体ハプログループの割合はN1c (61%), I (29%), R1a (5%) , R1b (3.5%)である〔(N3=312/536), Lappalainen, T; Koivumäki, S; Salmela, E; Huoponen, K; Sistonen, P; Savontaus, M. L.; Lahermo, P (2006). "Regional differences among the Finns: A Y-chromosomal perspective". Gene 376 (2): 207–15. doi:10.1016/j.gene.2006.03.004. PMID 16644145. edit〕。 紀元前3000年ごろから定住し、古代ローマの歴史家タキトゥスの記録に登場するため、2000年以上前には歴史に登場したと思われる。タキトゥスの記述した「フェンニ」がフィン人の語源になったことは間違いないが、フェンニが古代フィン人のことを指していたかどうかは詳らかではない。もし違うのなら、「フェンニ」の誤用が現在の名称のもとになったということになる。 彼らのルーツは民族叙事詩「カレワラ」に詳しい。冷涼の土地に定着したのに関してフィンランド人の間では「『ウラル語族』のなかの愚かな人々がうっかり定住するところを間違えたのがわれわれフィンランド人だ(それに対し賢かったのはハンガリー人)」と自嘲気味に語られることがある。 フィン人は人口が少なく、古代には自然崇拝に基づいた、スオミ人、ハミ人、カレリア人などの三部族に分かれての生活を送ってきた。しかし、その三部族の部族内でさえバラバラで、そのため統一国家樹立を実現する前に、ノルマン人のスウェーデン人による北方十字軍の征服を受け、キリスト教化しヨーロッパ世界に組み込まれた。スウェーデンによる支配は長く続き、宗教や文化などで強い影響を受けている。その後19世紀にはスラブ人のロシア帝国の支配を受けると、ようやく民族主義が高まり、帝政ロシア崩壊直後の1918年にはフィンランド共和国を樹立した。しかし第二次世界大戦の直前には、ロシアの版図を引き継いだソビエト連邦の侵攻を受けた。絶望的な戦力差にもかかわらず、冬戦争・継続戦争での善戦もあって領土の一部を割譲しつつも独立を維持したが、ナチス・ドイツと提携していたこともあって戦後は敗戦国の地位に甘んじることとなった。国際連合の常任理事国となったソ連から賠償金を請求されたほか、かろうじて非共産圏にとどまったものの、後世にフィンランド化と揶揄されるほどの親ソ政策・対ソ宥和外交を余儀なくされることになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィン人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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