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フェズ(、 Fez、 Fès)はアフリカ北西端、モロッコ王国北部の内陸都市。アラビア語では「ファース」〔岩永「フェズ」『アジア歴史事典』8巻、91頁〕。フェスとも表記される。 イドリース朝、マリーン朝などのモロッコに存在した過去のイスラム王朝の多くはフェズを首都に定めていた。首都が他の都市に移された時であっても、フェズはモロッコ人にとって特別な都市であり続けている〔那谷敏郎『紀行 モロッコ史』(新潮選書, 新潮社, 1984年)、80-83頁〕。数世代前から町に住み続けているフェズの住民はファシ(ファーシー)と呼ばれ、彼らの間では独特の方言が話されている〔米山『モロッコの迷宮都市フェス』、251頁〕。ファシの間にも方言の差異があり、旧市街では北部方言、新市街では南部方言が話されている〔私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、132頁〕。 フェズはラバト、マラケシュ、メクネス、カサブランカといった都市と共にモロッコの観光資源となっている〔米山『モロッコの迷宮都市フェス』、24頁〕。複雑な構造の旧市街地は迷路にも例えられ〔飯山「フェス」『世界地名大事典』3、830頁〕、1981年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フェズ旧市街」が登録された。 == 地理、気候 == === 地理 === フェズはアトラス山脈の北西、サイス平野の町で、フェズ川とセブー川の合流点の南に位置する。モロッコ南部のサハラ砂漠、アトラス山脈と北の地中海沿いの都市、モロッコ西部のカサブランカ、ラバト、メクネスから東に向かう交易路の交差点に位置するフェズには隊商宿と巡礼者や商人のための小規模の商店が多く建てられた〔米山『モロッコの迷宮都市フェス』、274-275頁〕。サハラ交易において、フェズは年2回トンブクトゥに向かう隊商の拠点とされていた〔。 フェズ市内は、大きく次のような地域で構成されている。 *メディナと呼ばれる旧市街。さらに次の2つの地区に分けられる。 *9世紀から始まった、フェズ・エル・バリと呼ばれる地区 *13世紀に建設された、フェズ・エル・ジェディドと呼ばれる地区 *フランス植民地時代に建設された、ヴィル・ヌヴェルと呼ばれる新市街 *旧市街の周囲に広がる墓地の外側に建設された、シテ・ポピュレールと呼ばれる居住区 *シテ・ポピュレールの外に建つ高級住宅地とバラック街 町の周囲は小高い丘に囲まれており〔、旧市街の中央を貫いてフェズ川が西から東に流れている〔米山『モロッコの迷宮都市フェス』、26頁〕。フェズ・エル・バリはフェズ川を底として両岸が競りあがるすり鉢上の構造をしており、岸に建てられた建物は底の部分に近づくほど古い歴史をもつものが多くなる〔松原『フェスの保全と近代化』、41頁〕。フェズ・エル・バリの住民は地下を流れるフェズ川の水を汲み上げて利用しており、排出される下水は町の外れでフェズ川の下流に合流する〔。近代に入るとフェズ川の南半分は暗渠化され、舗装道路が川の上を通っている〔法政大学陣内研究室「フェズ物語」『Spazio』No.43、28頁〕。地区内の水の供給は10世紀に建設された施設に依存するところが多く、供給量は十分とは言いがたい〔。旧市街の水路はかつてのフェズの繁栄に大きな役割を果たし〔松原『フェスの保全と近代化』、19-20頁〕、ムラービト朝の君主ユースフ・ベン・ターシュフィーンによる整備を経て、12世紀末にはモスク、マドラサ、多くの住居に水道が引かれるようになっていた〔ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、221頁〕。 フェズは亜熱帯気候に属しており、大西洋の影響を受けているために夏の気温は高く、冬に降雨が集中する〔野沢「フェズ」『世界地名大事典』8巻、1079頁〕。町の周辺では小麦、オリーブ、豆類、ブドウが栽培され、ヒツジやヤギの遊牧が営まれている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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