翻訳と辞書
Words near each other
・ フェデレーションカップ (インド)
・ フェデレーションタワー
・ フェデレーション・カップ
・ フェデレーション・カップ (曖昧さ回避)
・ フェデレーション・タワー
・ フェデレーション・フランセーズ・デ・ベースボール
・ フェデロフM1916
・ フェデロフM1916突撃銃
・ フェトゥフッラー・ギュレン
・ フェトチーネ
フェトチーネ・アルフレッド
・ フェトチーネ・アルフレード
・ フェトヒイェ
・ フェトヒ・オクヤル
・ フェトヒ・ビュレント級装甲艦
・ フェトフッラー・ギュレン
・ フェトプロテイン
・ フェド
・ フェドゥーシア
・ フェドカップ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フェトチーネ・アルフレッド : ミニ英和和英辞書
フェトチーネ・アルフレッド[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フェトチーネ・アルフレッド ( リダイレクト:フェットゥチーネ・アルフレード ) : ウィキペディア日本語版
フェットゥチーネ・アルフレード[ちょうおん]

フェットゥチーネ・アルフレード()はフェットゥチーネパルミジャーノ・レッジャーノバターを使用して作るパスタ料理である。料理名はローマレストランの名前であるアルフレード・ディ・レーリオ(Alfredo Di Lelio)から取られている。アメリカ合衆国では上に挙げた材料の他に、ブロッコリーパセリクリームニンニクエビ鶏肉などを用いて作ることがある。
== 歴史 ==
この料理はもともとローマに旅行したアメリカ人観光客の間で人気だった料理であり、シェフが自身の名前をつけて営業していたレストラン、アルフレード・ディ・レーリオが提供していた料理であった。

''フェットゥチーネ・アル・ブッロ(Fettuccine al burro)''はローマの観光客の心を掴んだ料理だった。それはおそらく、オリジナルのアルフレードがグランド・オペラのスペクタクルを思い出させる料理であったからだろう〔Waverly Root, ''The Food of Italy'', Random House, 1971, p. 86. ISBN 0-394-72429-1.〕。

料理の歴史は1914年にディ・レーリオが自身のレストラン「アルフレード」で「フェットゥチーネ・アル・ブッロ」の派生料理としてこの料理を開発したことに始まる。当時、フェットゥチーネが食器に盛られる前と盛った後にバターを二回加える料理が''ドッピオ・ブッロ''(ダブルバター)として知られていた。ディ・レーリオの「オリジナルの工夫」は、思うように食事を摂れない妊娠中の彼の妻のために始めた、食器に盛る前にフェットゥチーネと合わせるバターの量を2倍にする(つまり、全体では''トリプロ・ブッロ'' - 三重バターとなる)ことであった〔Luigi Carnacina e Vincenzo Buonassisi, "Roma in Cucina", Martello, Milan, 1968, ''sub vocem''〕。アルフレードは彼の妻が食事を再開したことでこの料理をレストランのメニューとして加えた。
ディ・レーリオのレストランに通い詰めている者は、1920年ハリウッド俳優であったメアリー・ピックフォードダグラス・フェアバンクス新婚旅行で立ち寄り、料理を囲んだことで有名になったと語る。彼ら夫婦は謝意を表すため、アルフレードに対して、彼ら二人がアルフレードのレストランで食事している様子を撮影した写真とともに、金のフォークスプーンを提供した。アルフレードはこれを誇りに思い、壁に写真を掲げた。ピックフォードとフェアバンクスはハリウッドに戻ると友人や関係者に料理について伝えて回った。これにより新たな料理に関する情報が急速に広まっていった〔Paul Hofmann, (November 1, 1981), "Fettuccine-A Dish Fit for a Duchess", New York Times, accessed 2008 〕。
アルフレード・ディ・レーリオは1943年5月5日に自身の店を売却した。新たなオーナーはレストランの名前、メニュー、伝統のレシピ、壁の写真、その他すべてのものを受け継いだ。2011年時点において、レストランはアルフレード・アッラ・スクローファ(Alfredo alla Scrofa)という名前で営業を続けている〔Web site of "Alfredo alla Scrofa" in Rome 〕。
アルフレード・ディ・レーリオは彼の息子アルマンドとともに、1950年にピアッツァ・アウグスト・インペラトーレで「イル・ヴェーロ・アルフレード(Il Vero Alfredo)」という店を構えた。この店はアルフレードの孫とイネス・ディ・レーリオによって現在も営業を続けており、祖父によって開発されたオリジナルのフェットゥチーネ・アルフレードの伝統を守り続けている。
1977年、アルフレードIIとグイド・ベランカ(Guido Bellanca)がフェットゥチーネ・アルフレードを提供する店として、新たに「Alfredo's」という店をニューヨークロックフェラー・センターにオープンさせた。このレストランの壁には休憩室を含め、全室にAl Hirschfeldの絵が飾られている。フロリダ州のにあるディズニーワールドエプコットに支店が設けられたが、2007年9月にエプコット支店は閉店となった。
フェットゥチーネ・アルフレードはアメリカ合衆国のイタリア料理店では一般的に見かける料理となっている。イタリアやヨーロッパでは、「フェットゥチーネ・アルフレード」 という名前は一般的に知られていない。ローマでは通常この料理を「フェットゥチーネ・アル・ブッロ」と呼ぶ。ピエモンテ州では、タリエリーニ、バターとトリュフを使用して料理が提供されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェットゥチーネ・アルフレード」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fettuccine Alfredo 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.