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フェニキア(, Phoiníkē, ポイニーケー、, ポエニ、)は、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。 フェニキアという名前は、の居住地がギリシャ語で (Phoiníkē; ポイニケー)と呼ばれたことに由来しており、フェニキアがミュレックス(en)と呼ばれる貝から取れる紫色の染料(貝紫)を特産としていたことから、「紫色」(または「緋色」)という意味のギリシア語を語源とする説も存在するが、そのもともとの語源は不明である〔フェニキアとは深紅色を意味するギリシャ語である。この貝は、今日でも南部のサイーダなどの町中でこの貝殻の山を見かけることができる(小山茂樹『レバノン』中央公論社 中公新書474 1977年 39ページ)〕。 == 歴史 == フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。 フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。 しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。 一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェニキア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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