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フェミナ賞()は、フランスで最も権威のある文学賞の一つ。1904年に女性詩人アンナ・ド・ノアイユの提唱のもと、女性向け雑誌『ラ・ヴィ・ウールーズ』(後の『フェミナ』誌)の女性寄稿者22人により創設された。前年の1903年に設立されたゴンクール賞が事実上男性作家のみを対象としているのに対して〔Site République des lettres 〕、女性作家にも贈られる賞であり、ゴンクール賞の性差別への抗議の意図も含まれていた。 その年で最も優れたフランス語の散文もしくは詩作品に贈られる。フランスにおいて、ゴンクール賞、ルノードー賞、メディシス賞、アンテラリエ賞と共に、五大文学賞と呼ばれる。11月の第1週の水曜日に、パリのクリヨンホテルにて、12人の女性の審査員によって選定される。 フェミナ賞とゴンクール賞の結果発表がどちらが先となるかは激しい競争となり、発表を交互に行う協定が結ばれている〔Article du Nouvel Obs 〕。 == 歴史 == この賞は当初はアシェット・リーブル社の雑誌『La Vie heureuse』(『幸せな生活』)の名前から「ヴィ・ウールーズ賞」と呼ばれ、1904年12月4日に20名(ゴンクール賞の倍)の女性から成る審査員により初の授与が行われた〔Discours pour les 100 ans du Femina 〕。アンナ・ド・ノアイユの他に、カロリーヌ・ド・ブルテル(編集長)、アルフォンス・ドーデ夫人、カチュール・マンデスの妻ジャンヌ・ネット、ジョルジュ・ゴヨーの妻リュシー・フォーレ、セヴェリーヌ、ジュリエット・アダンなどが審査員に名を連ねていた。 1920年代に、ピエール・ラフィットが創刊した雑誌『フェミナ』の名前から「フェミナ賞」を名乗るようになり、審査員は12名となった〔Discours pour les 100 ans du Femina 〕。 ロシュフコー家のエドメ・フリッシュ・ド・フェルスは数十年間に亘って合衆国広場8番地の邸宅のサロンにパリ中の文学・思想の名士たちを集め「アカデミー・フランセーズの控室」と評判となっており、彼女が長年フェミナ賞の審査員長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェミナ賞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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