|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 公 : [こう] 1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate ・ 公国 : [こうこく] 【名詞】 1. dukedom 2. duchy 3. principality ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
フェラーラとモデナの君主一覧では、13世紀から19世紀のイタリアにおけるフェラーラ、モデナおよびレッジョの君主を挙げる。 == 概史 == イタリアの有力貴族でランゴバルド人の血統のエステ家は、10世紀以来エステ辺境伯の地位を世襲し、1196年からはフェラーラ侯となった。1240年にフェラーラのシニョリーア(僭主制)を確立した。 1289年にはモデナとレッジョの侯を兼ねた。 1452年にはモデナとレッジョ、1471年にはフェラーラがそれぞれ侯爵領から公爵領に改められた。(1482年 - 1484年)。 1598年、フェラーラはローマ教皇に奪取され教皇領に編入され、以後はエステ家はモデナおよびレッジョ公国(モデナ公国)として存続した。 1796年、モデナ公国はナポレオン・ボナパルトに征服されチザルピーナ共和国に編入された。 1814年、モデナ公国はエステ家最後のモデナ公エルコレ3世の女系の孫でハプスブルク家のフランチェスコ4世の下で再興され、1859年にサルデーニャ王国に併合されるまで続いた。このオーストリア=エステ家は最後の君主となったフランチェスコ5世で断絶し、名目上の公位とオーストリア=エステ大公の称号は遠縁の同族であるオーストリア帝位継承者フランツ・フェルディナント大公へ、さらにその甥で皇帝となるカール1世からその子、孫へと継承されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェラーラとモデナの君主一覧」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Duke of Ferrara and of Modena 」があります。 スポンサード リンク
|