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フェラーリ・312PBは、1971年から1973年の耐久レース世界選手権を戦うために、フェラーリが開発したレース用車両である。プロトタイプレーシングカーに分類される。 == 概要 == 開発は1970年から始められ、その年に登場した、フォーミュラ1(F1)の312Bに搭載されたエンジンをデチューンして使用された。このエンジンは、1969年の312Pの60度V型12気筒とは別物の、180度V型12気筒〔構造上水平対向エンジンではないがなぜかBOXERと呼んでいる〕2,991cc4カムで、1気筒あたり4バルブを持っていた。 特筆すべきはこのエンジンのクランクベアリングが4つしかないことで、これは長いクランクシャフトと、フライホイールの間にラバーダンパーを挿入することによって、クランク自体の振り振動が少なくなったため可能になった〔312Pは7ベアリングであった。〕。 またカム駆動がそれまでのチェーンから、ギアトレーンへ変更された。ギアトレーンはチェーン駆動より振動などの問題は増えるが、高回転でのバルブタイミングの正確さを求めたためといわれる。これらにより摩擦ロスが抑えられた結果、最高回転数は10,000rpmを超えることになった。 燃料供給は、312Pと同じくルーカス製の機械式燃料噴射装置、点火装置もマニエッティ・マレリのトランジスタ点火装置、ディノプレックスを採用していた。 最高出力は、F1仕様の480hp/12,600rpmに対して、440hp/10,800rpm(1971年仕様)と発表された。 シャーシは、それまでのフェラーリ・スポーツプロトタイプカーと同じく、鋼管スペースフレームにアルミパネルをリベット止めした、通称エアロと呼ばれるセミモノコックで、左側のサイドシル部分に120リットル入りの燃料タンクを搭載した。これは右側に乗るドライバーとのバランスを取るためといわれている〔ヨーロッパのサーキットは右回りのコースが多いため、フェラーリのプロトタイプカーは右ハンドルが基本になっている〕。 エンジンはサブフレームに取り付けられるが、F1と同じくエンジン/ミッションが構造体の一部として、リアの足回りを支える設計になっている。 サスペンションは、基本構成は330P2からの足回りを踏襲しフロントがダブルウィッシュボーンとコイル・ダンパー、リアがIアームと逆Aアームの4リンク/コイル・ダンパーの組み合わせ。ホイールベースは2,220mmで312Pより150mm短い。 ボディワークは512Mの風洞テストの結果からデザインされ、形状はオープンボディのみ、開発時はアルミ製だったが実戦用は繊維強化プラスチックで製造された。車両重量は発表時585kgで、312Pより100kgほど軽かった。 1970年に312PBは3台製作され、1台が実戦に向けシェイクダウンテストを行った。フェラーリは、1971年をテストの年と割り切って、レースには1台のみを参戦させていたが、第1戦のブエノスアイレス1000kmでイグナツィオ・ギュンティが事故死、最悪のデビューとなった。 1971年、312PBはシーズンを通して1発の速さはあったが、耐久性の低さを露呈した。この結果フェラーリは1972年に向け、速さより耐久性の向上へ開発の目を向けることになった。 1972年から変更された耐久レース選手権は、それまでグループ6と呼ばれていたカテゴリーをグループ5へ移行し、名称もスポーツカーへ改められた。また最低重量の制度が復活した。 国際自動車連盟(FIA)はF1のエンジンを流用して、多くのコンストラクターがこのレースに参加しやすいよう、6時間または1000kmを具体案として耐久レースの距離短縮にも働きかけた。その結果デイトナ24時間は6時間に短縮されることとなったが、セブリングとル・マンの主催者はこれを突っぱねたため、決定は1973年へ先送りされた〔結局短縮はされなかった。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェラーリ・312PB」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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