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フェリックス・トリニダード(Félix Trinidad、1973年1月10日 - )は、プエルトリコのプロボクサー。サン・フアン出身。ウェルター級、スーパーウェルター級、ミドル級の3階級を制覇し、1990年代を通して最強の中量級ボクサーとの呼び声も高かった。ニックネームは「TITO(ティート)」。長いリーチから繰り出される鋭い右ストレートと左フックでKOの山を量産し、一時代を築いたプエルトリコを代表するボクサーの一人でもある。打たれ脆いが常に前進し、ダウンを奪い返して逆転勝利するというスリリングな試合にはファンも多い。トレーナーは父のフェリックス・トリニダード・シニア。 == 来歴 == 1990年3月10日、母国プエルトリコで17歳という若さでプロデビュー戦を行い、2回TKO勝利を収めた。 その後は2年かけてキャリアを積み、連勝街道を突き進み19連勝(16KO)と勢いに乗ったまま20戦目にして世界初挑戦となる。タイトルマッチはなくノンタイトル戦のみだが13戦目に後の世界王者ジェイク・ロドリゲスを破り16戦目には元南米王者でフリオ・セサール・チャベスの世界王座に挑んだ経験もあり50戦以上のキャリアを誇る、アルベルト・デ・ラス・メルセデス・コルテスと対戦、2回にダウンを奪われたが3回2分53秒大逆転TKO勝ちを収めた。なおトリニダードはコルテスとの試合が世界初挑戦までの試合で一番危ない試合だったと振り返っている。 1993年6月19日、IBF世界ウェルター級王者モーリス・ブロッカーと対戦。センセーショナルな2回TKOで下し初挑戦にして王座を獲得した。 同王座は返上するまでトップクラスを相手に15度防衛し、在位7年という長期政権を築くことになる。 1994年1月29日、ヘクター・カマチョと対戦。人気者同士の一戦はトリニダードが12回3-0(119-106、117-109、116-110)の大差判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。 1994年9月17日、IBF世界ウェルター級1位のルイス・ラモン・カンパスと対戦。56戦全勝(50KO)と脅威的な数字を持つ相手に、試合前のオッズは拮抗していたが、試合はトリニダードが2回に左フックでダウンを奪われるも、左フックを的確にヒットさせ逆転。最後は左右のコンビネーションでレフェリーストップを呼び込み、4回2分41秒TKO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。 1994年12月10日、32戦全勝のオーバ・カーと対戦し8回2分41秒TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。 1996年5月18日、叩き上げの元IBF世界ライト級王者フレディ・ペンデルトンと対戦し、5回1分30秒KO勝ちを収めで9度目の防衛に成功した。 1999年2月20日、圧倒的ディフェンス技術で4階級制覇を果たしたパーネル・ウィテカーと防衛戦を行い、試合は体格差を生かした戦い方で終始トリニダードペースで進んでいき、12回3-0(2者が118-109、117-111)の大差判定勝ちで13度目の防衛に成功した。 1999年9月18日、WBC世界ウェルター級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤと王座統一戦を行った。この試合は全勝スター同士の一戦であった事から「ファイト・オブ・ザ・ミレニアム(1000年に1度の世紀の対決)」と言われるほど注目度が高かった、試合は序盤ポイント優勢と見たデ・ラ・ホーヤが後半逃げ切りを図り、終盤はほぼアウトボクシングを駆使し、無敗対決の勝敗は判定にゆだねられた。注目の判定は最初から前へ出続けたトリニダードの攻勢が支持され、デ・ラ・ホーヤに12回2-0(115-113、115-114、114-114)の判定勝ちを収め王座統一に成功、WBC王座を獲得しIBF級王座も15度目の防衛に成功した。 2000年3月3日、WBA世界スーパーウェルター級王者デビッド・リードと対戦し、12回3-0(114-106、2者が114-107)の判定勝ち収め2階級制覇を達成。試合後WBC・IBF世界ウェルター級王座も返上した。 2000年7月22日、トップコンテンダーのママドゥ・チャムと対戦し、自分の間合いを崩さず、中間距離で戦い続けながら正確なショットを決め続け、3回2分48秒TKOで勝ちを収め初防衛に成功した。 2000年12月2日、IBF世界スーパーウェルター級王者フェルナンド・バルガスと王座統一戦を行い、12回1分33秒TKO勝ちを収めで無敗対決を制しWBA王座は2度目の防衛とIBF王座獲得に成功した。 2001年4月、WBAからスーパー王座に認定された。 2001年5月12日、WBA世界ミドル級王者ウィリアム・ジョッピーと対戦し、5回2分25秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功し、3階級制覇を果たした。この試合はミドル級王座統一トーナメントの準決勝としても行われ、2001年4月14日にIBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスがWBC世界ミドル級王者キース・ホームズを破りホプキンスが待つ決勝戦へと駒を進めた。 2001年9月29日、WBC・IBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスと王座統一戦を行い、プロ初黒星となる12回1分18秒TKO負けを喫し王座統一に失敗。僅か4ヵ月でWBA王座から陥落した。 2002年5月11日、元WBC世界ミドル級王者アッシン・シェリフィーと対戦し、4回TKO勝ちを収め再起に成功した。試合後ホプキンスとの再戦を望むも、ホプキンス側に拒否され、同年7月21日に引退宣言を行った。 2004年10月2日、2年5か月ぶりの復帰戦でリカルド・マヨルガとNABC北米ミドル級王座決定戦で対戦し、8回TKO勝ちを収めた。 2005年5月14日、WBCミドル級王座挑戦者決定戦でロナルド・ライトと対戦し、12回0-3(107-120、2者が108-119)の大差判定負けを喫しバーナード・ホプキンスへの挑戦権獲得に失敗した。5月16日に2度目となる引退宣言を行った。 2008年1月19日、2年8か月ぶりの復帰戦でロイ・ジョーンズ・ジュニアと対戦。2度のダウンを喫し、12回0-3(109-117、2者が110-116)の判定負けを喫した〔ロイ・ジョーンズJr フェリックス・トリニダードに判定勝利 「AFPBB News」 2008年1月20日〕。この試合を最後に現役を退いた。 2014年4月12日、6300万ドルあった資産を使い果たしプエルトリコの裁判所に破産を申請した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェリックス・トリニダード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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