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フェリックス=クレール・リデル : ミニ英和和英辞書
フェリックス=クレール・リデル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フェリックス=クレール・リデル : ウィキペディア日本語版
フェリックス=クレール・リデル[ちょうおん]
フェリックス=クレール・リデル(、1830年7月7日 - 1884年6月20日)は、フランスカトリック教会司教パリ外国宣教会宣教師として朝鮮に渡った。興宣大院君によるキリスト教弾圧(丙寅教獄)を生きのび、その後も朝鮮に対する宣教につとめた。漢名は李福明。
== 生涯 ==
リデルはロワール=アンフェリウール県のシャントネ(現在のナント市西部)に生まれた〔Dallet (1874) p.589 の注1〕。1857年にパリ外国宣教会の聖職者に叙階され、宣教のために1861年に朝鮮に密入国した。
丙寅教獄によって、1866年にベルヌー司教、ダヴリュイ司教、および7人のフランス人宣教師が死刑になったが、リデルは生きのびてに脱出し、朝鮮の惨状を訴えた〔Dallet (1874) pp.567-568〕。12人いたフランス人宣教師のうち、生き残ったのはリデルを含めて3人だけだった。フランスはこの事件に対する抗議のためにローズ少将率いる3隻の軍艦を朝鮮に送りこんだ(丙寅洋擾を参照)。
リデルは1870年にベルヌーとダヴリュイをついで司教および朝鮮使徒座代理区の第6代使徒座代理に任命されたが、朝鮮の海禁政策はより厳格になり、入国は困難だった〔Dallet (1874) p.589〕。
江華島事件後の1876年に、リデルは2人の宣教師を朝鮮に送りこむことに成功した。リデル本人も1877年に朝鮮に再入国したが、獄に入れられ、翌年、清へと国外退去させられた〔カトリック百科事典〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェリックス=クレール・リデル」の詳細全文を読む




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