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フェルディナント(・ハインリヒ)・ティエリオ(Ferdinand Heinrich Thieriot *1838年4月7日 ハンブルク - †1919年8月4日 ウーレンホルスト)はドイツの作曲家・チェロ奏者。 == 生涯 == アルトナでエドゥアルト・マルクスゼンに師事し、ブラームスをとりまく音楽サークルの一員となる。ブラームス自身もマルクスゼンの門人であり、ティエリオの兄弟子であった。その後ミュンヘンでヨーゼフ・ラインベルガーの薫陶を受ける。ティエリオは生涯にわたって、いずれの恩師とも近しい関係を保ち続けた。 ティエリオは、ハンブルクの出版会社の社長令嬢エルゼ・ベーレンスと結婚する。子宝には恵まれなかった。ハンブルクやアンスバハ、ライプツィヒ(1867年)、グローガウ(1868年~1870年)で音楽教師や楽長として活動。後にブラームスの推薦を得て、グラーツのシュタイアーマルク音楽協会の芸術監督に就任(1870年~1885年)。1902年の5月から、再びハンブルクに居を構え、同地で最期を迎えた。 ティエリオ作品は、ハンブルクの楽友協会やジングアカデミーのほか、1897年にバッハ協会の理事職を得たライプツィヒにおいても上演された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルディナント・ティエリオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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