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フェルディナンド・カルッリ(Ferdinando Carulli, 1770年2月9日 - 1841年2月17日)は、イタリアの作曲家、ギターリスト。最も有名なクラシック・ギターの作曲家、かつクラシックギター指導法の著者の一人で、現在でもその指導法は用いられ、作品は演奏され続けている。コンチェルトや室内楽を含めて、クラシックギターのために多くの曲を作った。その数は12年間で400曲を超える。 ==略歴== ナポリ生まれ。同時代の多くの人と同様に、聖職者(当時、聖職者はアマチュア音楽家でもあった)より音楽理論を習った。最初はチェロを学んだが、20歳の時にギターに出会い、人生をギターの研究と進歩に注ぎ込んだ。当時、ナポリにはプロのギター指導者がいなかったため、独自の練習法を開発した。 カルッリは才能豊かな演奏者であったため、ナポリでの演奏会は人気を博し、すぐにヨーロッパ中を演奏旅行するようになった。1801年、フランス人女性と結婚した。数年後、ミラノで作曲を始め、地元の出版物に寄稿した。パリでの演奏旅行を大いに成功させ、その後、パリへ移住した。パリは、その当時、世界の「音楽の中心(首都)」として知られていた。 カルッリは、パリで音楽家そして指導者として成功を収め、ギターを上流階級とパリの音楽家に広め愛好させた。彼の作品の多くが出版されたのもパリであり、ついには彼自身が出版者となり他の優れたギターリストの作品を出版した。 1830年代には、カルッリに魅了された多くのギター奏者が、彼を追ってパリへとやって来た。その多くのギター演奏者たちとともに、パリで熱心にギターの指導を行った結果、パリの貴族達をも生徒とした。 現在、カルッリの最も偉大な作品とされる多くの楽曲(小曲)は、一般的な演奏者にはあまりも難しかったため、直ぐに出版者により細かく切り分けられてしまった。そして、切り分けられてしまったが故に、その多くが失われたと思われる。他の出版者によって切り分けられることを防げなかったため、自身の楽曲(小曲)を自ら出版し始めた。しかし、現在まで伝えられている重要な作品の多くは、主に基本的な技術を教えたり、初心者のために十分使えると他の出版者が認めた曲であった。多くの生徒と支援者がいたが、作曲した素晴らしい作品の多くが出版されなかったため、彼自身は自分のことを素晴らしい名声に値しないと考えていた。 簡単な楽曲(小曲)のみに限定すると、カルッリは世界的に知られている古典的なギター練習法である「ギターへのハーモニーの応用」、今でも授業で使われる楽曲群を書いた。出版の時点で、この練習法は非常に評判が良く、何度も版を重ねた。 晩年は、ギターの構造を改良することを試行し、フランスのギター製作者であるラコートとギターの音質を改善する重要な変更を行った。カルッリは1841年2月17日、パリにて没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルディナンド・カルッリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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