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フェルディナンド・フォン・ツェッペリン : ミニ英和和英辞書
フェルディナンド・フォン・ツェッペリン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フェルディナンド・フォン・ツェッペリン ( リダイレクト:フェルディナント・フォン・ツェッペリン ) : ウィキペディア日本語版
フェルディナント・フォン・ツェッペリン

フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵(''Ferdinand Adolf Heinrich August Graf von Zeppelin'' 、1838年7月8日 - 1917年3月8日)は、ドイツの軍人(陸軍中将)であり、発明家・企業家。硬式飛行船を実用化した人物であり〔彼以前にも、ロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーが硬式飛行船を構想し、ドイツのダーフィット・シュヴァルツが硬式飛行船を試作はしてはいるが、実用化には至らなかった。〕、「ツェッペリン」は幾つもの言語において「硬式飛行船」を意味する普通名詞となっている。来日し、日本でも皇居を避けつつ上空を飛来し「Z伯」の名で報道され有名となった。
バーデン大公国(現ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州)のコンスタンツ出身。
== 軍歴 ==

ツェッペリン伯爵は1853年にシュトゥットガルトのを退学し、1855年にルートヴィヒスブルクの士官学校に入学。ドイツ連邦ヴュルテンベルク王国で軍人としての道を歩み始めた。
1858年までにはヴュルテンベルク軍の少尉になる。同年、自然科学工学化学を学ぶための休暇を許されテュービンゲンへ。しかし翌59年に第二次イタリア独立戦争が勃発すると工兵としてプロイセンに動員され、勉学を中断。
1863年、南北戦争北軍観戦武官となるべくアメリカへ。アメリカではその後ロシア人インディアンからなる遠征隊に加わってミシシッピ川の源流を探り、またJ・シュタイナー気球に乗って初の飛行を体験する。
1865年にヴュルテンベルク王カール1世副官に任命され、66年の普墺戦争には参謀として従軍。「ヴュルテンベルクに対する傑出した貢献」によりを授けられた〔。1870 - 71年の普仏戦争では騎兵としてフランス敵陣深くまで偵察を行い、ドイツ側では有名になった。
1882年から85年まで、ウーラン連隊の司令官を務める。最終的にはヴュルテンベルクの公使となってベルリンに行く。
1890年、司令官としての職務の瑕疵が非難を浴び、退役を余儀なくされた。最終軍歴は中将であった。 〔Ferdinand Graf von Zeppelin(ドイツ語版ウィキペディア 2008年6月15日)
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