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フェルナンド・カベナギ(Fernando Ezequiel Cavenaghi, 1983年9月21日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州オブライエン出身でCAリーベル・プレート所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。 == 経歴 == === クラブ === 12歳でCAリーベル・プレートの下部組織に入団。その下部リーグで得点を量産していた事から、2001年にラモン・ディアス監督の目に留まり、トップチームでのデビューを果たす。 2001-02シーズン開幕戦でゴールをあげると、アリエル・オルテガ、アンドレス・ダレッサンドロらの強力メンバーらと一緒にゴールを量産、通産30回目のリーグ優勝に貢献し、自身も15ゴールを記録、18歳で得点王を獲得した。2002-03シーズンも12ゴールを記録し、チームも優勝を飾る。ユヴェントス、ASローマ、マンチェスター・ユナイテッド、FCバルセロナ、オリンピック・マルセイユ、ASモナコなどが獲得に乗り出すが、2004年にロシアのスパルタク・モスクワへロシア史上最高額(当時)の移籍金(約13億円)で移籍。ロシアでは気候の問題や監督と反りが合わないなど本領を発揮するには至らず、在籍3年間で62試合、17ゴールの成績に終わり、2007年1月22日にFCジロンダン・ボルドーに完全移籍した。 ボルドー移籍直後は途中出場が多く、2007-08シーズンは開幕前に恥骨部分を痛め手術を行ったために2ヵ月間出遅れてしまう。その間にレンジャーズに移籍したジャン・クロード・ダルシュビーユの穴を埋める為に獲得したダヴィド・ベリオンがゴールを量産。そのため復帰後もカップ戦要員になるなど影が薄れたが、シーズン後半よりアフリカネイションズカップ出場のためマルアーヌ・シャマフが不在になるなどして、出場機会が増加。見事に期待に応えハイペースでゴールを量産し、チームのリーグ2位の原動力となった。2008-09シーズンはチームトップタイの13ゴールを記録し、チームの10シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。 2009-10シーズンはローラン・ブラン監督がシャマフを1トップとする布陣を取ったため出場試合数が減少し、リーグ戦20試合の出場で3ゴールと結果を残せなかった。2010年夏、RCDマヨルカにレンタル移籍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルナンド・カベナギ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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