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フェルナンド・フローレス (Carlos Fernando Flores Labra 1943年1月9日 –)は、チリの政治家、哲学者。またアメリカで計算機科学、経営工学などの研究および会社経営も行なった。 ==概要== 1943年、チリのタルカに生まれる。 大学では土木工学を専攻し、銀行の頭取や技術関係の研究所の所長を務める。 1970年、サルバドール・アジェンデ社会主義政権が成立すると、左翼政党、人民統一行動 (MAPU) の一員として、財務大臣など各種閣僚を務め、サイバーシン計画などに関わった。 これはサイバネティクスの理論を用いて制御された計画経済のための全国規模のコンピュータネットワークであった。 1973年のクーデター時にはアジェンデとともに官邸に立てこもった。 投降後、生命の危険に晒されながら強制収容所に政治囚として投獄された。 1976年にアムネスティ・インターナショナルの交渉により解放された後は、家族とともにカリフォルニア州に移住し、スタンフォード大学計算機科学科の研究員として、人工知能研究の著名な研究者であるテリー・ウィノグラードと共同研究を行なった。 1977年にカリフォルニア大学バークレー校に移り、1979年にヒューバート・ドレイファスやジョン・サールなどの指導の元で哲学の博士号を取得する。 哲学的にはハイデッガー、ガダマーの解釈学、マトゥラーナのオートポイエーシス、オースティンの言語行為論などから影響を受け、知識の理解における素朴な合理主義的伝統を批判した。 特に、人間とコンピュータとの関係を問い直し、人間を模倣するコンピュータから、人間の道具としてのコンピュータへと移行するための哲学的議論を展開した。 人工知能批判の書としても知られる1986年のウィノグラードとの著書『コンピュータと認知を理解する』では、これらのフローレスの哲学観、コンピュータ観が開陳されている。 またこのころ、ソフトウェア会社アクション・テクノロジー (Action Technologies) などいくつかの企業を設立し、ワークフロー解析やグループウェア、ソフトウェア設計、業務管理解析などにおいて、彼の哲学に基づく新しい考え方を導入したソフトウェアを開発した。 民政移管したチリで、2002年より2010年まで上院議員を務めた。 当初は中道左派政党、民主主義のための政党 (PPD) の一員であったが、政争や与党連合の汚職疑惑に関する決定への不満をきっかけに2007年には離党し〔在チリ日本大使館政務班 (2007年2月5日) “チリ政治情勢(1月),” §2(1).〕、チリ第一党(ChilePrimero)と呼ばれる政治運動を組織するとともに、任期まで無所属議員として活動した。 2010年の大統領選では変革のための同盟に参加し、中道右派のセバスティアン・ピニェラ候補を支援した〔 §2(5).〕。 自身は上院議員の再選を目指さず、辞任後はピニェラ大統領により技術革新に関する評議会の議長に任命されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルナンド・フローレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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