|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 作 : [さく] 1. (n,n-suf) a work 2. a harvest ・ 作戦 : [さくせん] 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
フェーリックス作戦もしくはフェリックス作戦、フェーリクス作戦()とは、第二次世界大戦においてドイツによって立案された、ジブラルタルの占領を目的とした作戦である。立案は1944年まで続いたが、参謀らの検討段階にとどまった。これは、スペインの指導者フランシスコ・フランコがスペインが枢軸国側として大戦に参戦することを渋ったことが、主たる理由である。 ==背景== 1940年6月のフランス陥落に続き、ヘルマン・ゲーリングはヒトラーに、英国に侵攻するよりむしろスペインと北アフリカを占領することを提案した。独仏休戦協定が調停されるより前の1940年6月には早くも、ハインツ・グデーリアン大将もまたイギリスの戦略上重要なジブラルタルの海軍基地を占有することを主張した。グデーリアンはヒトラーに、自身が2個機甲師団を率いてスペインを通過しジブラルタルを占領、そしてフランス領北アフリカに攻め込むように、フランスとの休戦を延期するように力説したほどであった。 ドイツ国防軍最高司令部(OKW)作戦部長であったアルフレート・ヨードル大将はブリテン諸島に攻め込む代わりにスペイン、ジブラルタル、北アフリカそしてスエズ運河に攻め込むことによって、イギリスをその東の領土から切り離そうとする公式の計画をヒトラーに提示した。1940年7月12日、OKWは必要な計画のための特別のグループを設置した。7月22日、アプヴェーア長官でありスペインに詳しいと定評のあるヴィルヘルム・カナリス大将が数人のドイツ将校と共にスペインのマドリードに行き、そこでスペインの指導者のフランシスコ・フランコ総統と当時航空大臣を務めていた少将と会合を開いた。そして彼らはアルヘシラスに移動し、ジブラルタルへの接近の偵察のため数日を過ごし、フランコ政権は参戦に渋りがちであるとの結論をもってドイツに帰った。ただし、カナリスはヒトラーに忠実ではなく、後に実際にはフランコに枢軸側に参戦しないように勧めていたと知られるようになった〔。カナリスのチームはジブラルタルは少なくとも航空支援を受けた2個歩兵連隊、3個工兵大隊、12個砲兵連隊で占有されるべきだと決めていた。 カナリスは、入手不可能だと分かっていたが、380ミリカノン砲なしではジブラルタルは攻略できないと断言していた。彼が陸軍元帥のヴィルヘルム・カイテルに報告した際、たとえドイツがスペインの協力のもとジブラルタルを占領できたとしても英国はモロッコとフランス領西アフリカに上陸するだろうという個人的意見を述べた。 7月18日、フランコはジブラルタルを要求した。 彼はイギリスがこの要求に応じるとは予見していなかったが、これはドイツがジブラルタルを手に入れようと試みるのを妨げることとなった。 8月中、カナリスはフランコの義理の弟で、スペインの外務大臣になる予定のに会った。カナリスはセラーノ・スニェルに、フランコが戦争に加わらないよう説得するために彼ができることをするよう促した。カナリスはドイツが力ずくでスペインに介入することはないだろうとしてフランコを安心させたので、間もなくフランコはセラーノ・スニェルをヒトラーの考えを知るため急派した。セラーノ・スニェルが9月16日にヒトラーと会見した時ヒトラーはスペインが戦争に参加するように強く圧力をかけることはなかったが、これはおそらく彼がすぐにフランコに会うつもりだったからだ〔。 同時期にフランコはカナリスに会い、もしスペインが枢軸側に加わるとスペイン諸島、スペイン本土さえもイギリスの攻撃対象となる危険があるかもしれないと彼に警告した。カナリスは、ドイツへの協力を拒否した際に敵対したドイツによるスペインへの侵攻をフランコが恐れていることを知っているので、彼はフランコに、ヒトラーはロシアへの侵攻を計画しているのでそのような意図はないと伝えた。カナリスはまた、彼がドイツは戦争に勝利しないと確信していると認めることでフランコを驚かせた。 8月8日、カナリスとの秘密討議で自信を持ったフランコは、ドイツ大使に対し戦争協力の為の過剰な条件を提示し、もしスペインがジブラルタルとフランス領モロッコを約束された場合にのみヒトラー側に加わるだろうと言った。ドイツはまた、スペインの不安定な経済状況を助けるために小麦や石油といった形で軍事的経済的援助を約束しなければならなかった。さらに加えて、まず初めにドイツ軍が本格的な侵攻軍でイギリス本土に上陸しなければならなかった。 これによりヒトラーがカナリスを再度スペインへ派遣し、フランコを枢軸国側に参戦するよう説得し「桁外れ」の要求を緩和する交渉を引き起こした。それにもかかわらずカナリスはフランコに、戦争に負ける運命にある側に加わるのは馬鹿げているだろうと、再度印象付けた。 8月24日、ヒトラーはジブラルタルを攻略する大まかな計画に賛成した。10月23日、彼はフランスのアンダイエでフランコと個人的に会い、スペインが1941年1月には枢軸側で参戦するように提案し、ジブラルタルはドイツ国防軍特別部隊によって獲得されスペインに引き渡されるとした。しかしフランコは申し出を拒否し、大規模の軍事的経済的援助といったスペインの要求を強調した。フランコがドイツのイギリス本土における戦いでの勝利の可能性への疑念を表明したとき、ヒトラーは立腹した。フランコはまた、たとえブリテン諸島が侵攻され征服されたとしてもイギリス政府は、大部分のイギリス陸軍や非常に大きな力を持つイギリス海軍と共に、おそらくカナダへ撤退し、アメリカ合衆国の援助のもと大西洋の戦いを続けるだろうと指摘した。 意味のない申し合わせの覚書がアンダイエにてフランコとヒトラーによって結ばれ、どちら側も自らが望んだものを手に入れられなかった。数日後ヒトラーはベニート・ムッソリーニに、「私はあの男と再び別の会合を経験するくらいなら自らの歯を四本引き抜いたほうがましだ!」と言ったと記録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェーリックス作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|