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フォイエルバッハ論[ふぉいえるばっはろん]
ルートヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結(ドイツ語:''Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen deutschen Philosophie'')は、フリードリヒ・エンゲルスによる科学的社会主義思想に関する著作である。1886年に雑誌『ノイエ・ツァイト』に2回に分けて掲載されたものに序と付録を付けて、1888年に出版された。一般に『フォイエルバッハ論』(フォイエルバッハろん)と通称される。 == 概要 == この著作は、デンマークの哲学者カール・ニコラス・シュタルケが書いた『ルートヴィヒ・フォイエルバッハ』(シュトゥットガルト、フェルディナント・エンケ書店、1885年)への書評として、ドイツ社会主義労働者党の機関誌『ノイエ・ツァイト』の編集部から依頼されてエンゲルスが執筆したものである。原稿は1886年に『ノイエ・ツァイト』の第4号および第5号に2回に分けて掲載された。しかし、書評という体裁にもかかわらず、実際にはヘーゲルからフォイエルバッハ、マルクスへと続く思想的な変遷を明らかにし、科学的社会主義(マルクス主義)の世界観および歴史観を要約的に論じたものとなった。その後、本文をまとめて序と付録を付けて、シュトゥットガルトのディーツ社から1888年に出版された。 マルクス・エンゲルスは当初、青年ヘーゲル派に属していたが、次第にフォイエルバッハの唯物論哲学の影響を受けるようになった。フォイエルバッハの宗教批判・国家批判は、マルクス「ユダヤ人問題によせて」(1843年)や二人の共同著作である『聖家族』(1844年)に見られる。しかし、ドイツ・イデオロギー(1845年)に至ると二人はフォイエルバッハを批判するようになり、彼ら自身の科学的社会主義の世界観・歴史観に到達した。この時の原稿の一部である「フォイエルバッハに関するテーゼ」が本書では付録として収録されている。こうした青年時代から40年の時を経て、エンゲルスが66歳の時に本書の原稿は書かれ、マルクスとの密接な協力のもとに長年行われた研究と実践およびその成果に基づいて、こうした哲学的な発展をエンゲルスは描いている。 出版後、本書は彼らの思想を簡潔にまとめた貴重な文献として広く読まれた。一方で、生前のマルクスが述べていない論点についてはマルクスからの逸脱を指摘する説もあらわれた。マルクス主義の入門書であるとともに論争の書である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォイエルバッハ論」の詳細全文を読む
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