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フォガット : ウィキペディア日本語版
フォガット

フォガット (Foghat) は、1970年代初頭に結成されたロックバンド。メンバーは、イギリス出身ながら、アメリカのサザンロックにも通ずるツイン・リード・ギターを押し出した土臭いハードなブギー・サウンドを特長としている。"Fool for the City"などのヒットを飛ばし、1970年代のアメリカを中心に人気を博した。
==歴史==
1971年、当時イギリスのブルースロック・バンド、サヴォイ・ブラウンのメンバーだったロンサム・デイヴ・ペヴァレット(vo., gt.)、ロジャー・アール(ds.)、トニー・スティーヴンズの3人がバンドを脱退し、ギターにロッド・プライスを加えてフォガットを結成する。1972年、アメリカのレーベル、ベアズヴィルよりアルバム''Foghat''でデビューを果たした。このアルバムをプロデュースしたのは、同レーベル所属アーティストでもあったトッド・ラングレンだった。中でも、冒頭を飾るブルースの曲"I Just Want To Make Love To You"は、原曲のイメージを一変させるツイン・リードをフィーチャーしたハードロック・バージョンであり、彼らのサウンドを象徴する代表ナンバーのひとつとなった。
1972年には、セカンド・アルバムを発表するが、このアルバムも内容は違うが同じくタイトルは''Foghat''とされた。但し、ジャケットに石(rock)とロールパン(roll)があしらわれていることから、ファーストと区別するため''ロックンロール''、あるいは''ロックンロール・アルバム''などと呼ばれている。
1974年のサード・アルバム''Energized''は、ヤードバーズの"Train Kept A-Rollin' "調のHoney Hush"などを始め、よりハードにスケールアップしたナンバーが並び、フォガット・サウンドの発展の跡が窺える作品となった。
4作目の''Rock and Roll Outlaws''発表後、トニー・スティーヴンズが脱退する。後任として、同アルバムのプロデュースを担当したニック・ジェイムソンが迎え入れられ、バンドは次のアルバム''Fool for the City'' (1975年) をリリースする。このアルバムは"Slow Ride"が全米トップ40に食い込むなど、バンド最大のヒットを記録した。同作発表後ジェイムソンが脱退、カリフォルニア出身のクレイグ・マクレガーが加入する。新ラインアップで、''Night Shift'' (1976年) 、そしてバンド初のライヴ・アルバム''Foghat Live'' (1977年) とリリースを重ねていった。特に後者はベスト・アルバム的な選曲と、オリジナルのスタジオ盤をしのぐテンションの高い演奏で、バンドの絶頂期と呼ぶに相応しい内容となっている。
1978年の''Stone Blue''では、ロバート・ジョンソンの"Sweet Home Chicago"、エルモア・ジェームスの"It Hurts Me Too"とストレートなブルースを取り上げているが、特に前者はロッド・プライスの豪快なスライド・ギターをフィーチャーしたハード路線で、フォガットのハードブギの健在ぶりを見せつけている。
しかしながら、以降バンドは徐々にその勢いを失っていった。1980年の''Tight Shoes''を最後にロッド・プライスが脱退。ギターが主導的役割を果たしていたバンドのサウンドの中で、彼の抜けた穴は大きかったと言わざるを得ない。バンドは、新ギタリストエリック・カートライトを加えて活動を続行するが、続く''Girls to Chat & Boys to Bounce'' (1981年) では、従来のようなテンションの高さを聴くことはできなくなっていた。バンドは、あと2枚アルバムを発表し、1985年には事実上の解散状態となった。
80年代の後半には、ドラマーのロジャー・アールが独自にフォガットを再結成。これに反発したロンサム・デイヴも別のフォガットを結成し活動するようになった。2つのバージョンのフォガットは、メンバーを変更しながら個別に90年代初頭まで活動を続けたが、アルバムをリリースすることはなかった。
ロジャーとデイヴが和解し、1994年、オリジナル・メンバーが再び集結して久々の新録アルバムとなる''The Return of the Boogie Men''をリリースした。同作では、"I Just Want To Make Love To You"を原点に返ってブルースっぽいアプローチで再演したものが収録されている。
ロッド・プライスはこの復帰作リリースのあと再度脱退し、続くライヴ・アルバム''Road Cases'' (1998年) では、後任ギタリストとしてブライアン・バセットが参加している。
2000年2月7日、オリジナル・メンバーでバンドのリーダー的存在であったロンサム・デイヴがガンによって他界してしまう。もはやバンドを続行することは不可能と思われたが、バンドは後任に元テッド・ニュージェント・バンドのヴォーカリスト、チャーリー・ハーンを迎え入れ活動を続けた。2003年には、ロンサム・デイヴがいないフォガットとしては初のアルバムとなる''Family Joules''をリリースする。このあと、トニー・スティーヴンズが脱退するが、後任に再度クレイグ・マクレガーを加え、今日もバンドは活動中である。
一方、ロッド・プライスは脱退後、初のソロアルバム''Open''をリリース。2005年3月22日、誤って階段から落ちた際の頭部の怪我が原因となり亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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