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フォティス・コントグルー(, 本名:, フォティオス・アポストレリス、1895年 エヴァリ() - 1965年 アテネ)は、ギリシャ人の作家・画家・イコン画家。日本語媒体では英語の影響を受けた転写としてフォティオス・カンタグルウとの表記もみられる。 20世紀になり、それまで西欧の影響を受けていた正教会のイコンに、ビザンティンのイコン表現を復興させる流れが起きたが、コントグルーはその先駆者として、イコン画家としても活躍した〔C.カヴァルノス著、高橋保行訳『正教のイコン』教文館 1999年 ISBN 9784764263543〕。 == 生涯 == フォティス・コントグルーは父:ニコラオス・アポストレリス()と母:デスピナ・コントグルー()のもとに生まれた〔〕。 フォティスは母デスピナと、叔父:ステファノス・コントグルーに育てられたが、ステファノスは近隣のアギア・パラスケヴィ修道院の修道院長であった。少年時代をフォティスは修道院、海で、漁師達と共に過ごした。1913年、アテネ芸術学校(Athens School of Fine Arts)に入学。1915年から、スペイン、フランス、ポルトガル、アンゴラといった各地への旅行に多くの時間を割いた。のちにパリに移住。 しかしながら、すぐにフォティスは小アジアに戻り、家族を訪れる。そこで1922年の事件に直面し、ギリシャに難民として戻る。1923年に、フォティスはアトス山の修道院で幾ばくかの時を過ごし、そこでビザンティンイコンの技法を見出した。2年後、フォティスと同じくエヴァリ出身のマリア・ハチカンブーリと結婚した。 1933年に、エジプト政府からコプト博物館で働くために招請される。しかしフォティスはアテネに留まり、アテネ大学で絵画のクラスを担当した。弟子の中には何人かの重要な近代ギリシャの画家が含まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォティス・コントグルー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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