|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ カー : [かー] 【名詞】 1. car 2. (n) car ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フォルカー・ライヒェルト(Folker Reichert, 1949年6月4日 - )は、ドイツの歴史学者。 ヨーロッパ中世の旅行記・中世ヨーロッパ人の世界観などをテーマにした著作多数。ドイツにおけるマルコ・ポーロ研究の第一人者。日本とアメリカ・ヨーロッパの交流をテーマに論文を多数発表している。 == 経歴 == フュルトに生まれ、ヴュルツブルク大学・ハイデルベルク大学で歴史学・ドイツ文学・ラテン語を専攻し、1975年に教員採用国家試験に合格してハイデルベルク大学を卒業。しかし教員にはならず、博士課程に進んだ。 1982年、ハイデルベルク大学で博士号を取得した後、1982年から83年までドイツ学術交流会 (DAAD) から、ハイデルベルク大学との交流協定があった上海外国語学院(現上海外国語大学)に派遣され、ドイツ史・ドイツ文学を教えた。 1990年ハイデルベルク大学にて教授論文を提出し、大学教授資格を取得。教授論文の「中国との出会い-中世における東アジアの発見」は、1992年にドイツ歴史家協会賞を受賞した。ドレスデン工科大学・ケルン大学・ボン大学などで教鞭を執ったのち、1994年にシュトゥットガルト大学歴史学科に正教授として就任。2011年9月から半年間、アルフリード・クルップ学術財団から招聘を受け、特別研究員 (Fellow) としてグライフスヴァルトに滞在する。2012年10月にシュトゥットガルト大学を退官以後も、研究・執筆活動を続けている。 2006年、上海の同済大学に客員教授として招聘される。2005年に著書の『世界の体験』(原題 ''Erfahrung der Welt'')の日本語訳が法政大学出版局から出版されたことをきっかけに、2008年4月から翌年3月までの一年間、教授として横浜国立大学に招聘され、ドイツ文化史・ドイツ語を教授。さらに2009年にはタイ・バンコクのチュラーロンコーン大学でドイツ現代史・東西交流などについて講義を持った。 ライヒェルトは中世後期を自身の研究テーマの中心に置いているが、中世の法制史を始め、中世のアジアとヨーロッパ、世界発見の歴史、異国・異文化の認識、エルサレム巡礼、20世紀の中世研究など、多彩なテーマについて幅広く研究成果を発表している。上海の滞在をきっかけに、東アジア地域への学術的興味が生まれ、研究の対象にしてきた。 またライヒェルトは近・現代史へも強い関心を持ち、アイケ・ヴォールガストとの共著で、ハイデルベルク大学の歴史学者カール・ハンペが遺した第一次世界大戦中の日記を編集・出版し、後にハンペの自伝も執筆した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォルカー・ライヒェルト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|