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帝政期の模型内での位置(赤丸) フォルム・ボアリウム()は、古代ローマ時代のローマにあったフォルム (公共広場)である。 ==概要== フォルム・ボアリウムは、テヴェレ川とカピトリヌスの丘、パラティヌスの丘に囲まれたVelabrum谷の交通の要衝に位置しており、王政ローマ時代にウシの市場がこの場所にあったことから、『ウシ市場(=フォルム・ボアリウム)』と名付けられた。テヴェレ川に面した川岸は港として整備され、ローマで最も古い橋であるで対岸に渡ることも出来た。フォルム・ロマヌムに向かう道にはが設けられていた。 フォルムには、プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムスが紀元前210年ので、ギリシアのアエギナ島から奪った巨大な牛のブロンズ像が飾られていた〔University of Virginia, Institute for Advanced Technology in the Humanities, Rome Reborn Forum Boarium 〕〔Samuel Ball Platner, A Topographical Dictionary of Ancient Rome Forum Boarium , London: Oxford University Press, 1929.〕。 時代を経て共和政ローマ中期、港の役割はテヴェレ川の少し下流のエンポリウムに移り、ウシ市場もすぐ近くにあった公共市場に集約された〔フランソワ・イナール著 石川勝二訳 新版 ローマ共和政 ISBN 978-4-560-50986-9 p109〕ため、フォルム・ボアリウムは『ウシ市場』から『商業の中心地』に姿を変えていった。この場所はまた、紀元前264年に貴族の葬式に際して剣闘士の競技を初めて行った場所でもある。後の執政官デキムス・ユニウス・ブルトゥスが亡き父の栄誉を称え、3組の奴隷を剣闘士として、競技を行った。 この場所は宗教的な中心地でもあり、とポルトゥヌス神殿があり、紀元前6世紀か紀元前5世紀頃に建てられたもあった。帝政ローマ末期には、この場所に多数の店が並ぶようになった。神殿はどちらもキリスト教の教会に転用された。キルクス・マクシムスとの間にあったヘラクレス・ポンペイアニ神殿(Templum Herculis Pompeiani)は、8世紀に真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会に改築された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォルム・ボアリウム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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