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フォート・ウィレム・ヘンドリック : ミニ英和和英辞書
フォート・ウィレム・ヘンドリック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フォート・ウィレム・ヘンドリック ( リダイレクト:フォート・アムステルダム ) : ウィキペディア日本語版
フォート・アムステルダム[ちょうおん]

フォート・アムステルダムアムステルダム砦(アムステルダムとりで、Fort Amsterdam)は、1625年からアメリカ独立戦争後に解体される1790年まで、オランダイギリスによる植民地行政の拠点であった、マンハッタン島南端部のフォート・アムステルダムとして建設された後、フォート・ジェームズ (Fort James)、 フォート・ウィレム・ヘンドリック (Fort Willem Hendrick)、 再びフォート・ジェームズ、 フォート・ウィリアム・ヘンリー (Fort William Henry)、 フォート・アン (Fort Anne)、 フォート・ジョージ (Fort George) と呼称は変更された。
アメリカ独立戦争時のロングアイランドの戦いでは、この砦と、イギリス軍側のガバナーズ島 (Governor's Island) の砲座との間で砲火が交えられるなど、幾多の戦闘の結果、砦の支配者は8回交代した。
この砦の建設は、ニューヨーク市の紋章 (Seal of New York City) に記されたニューヨークの公式創設年(1625年)の根拠となっている。1683年10月には、ニューヨークの自治体の最初の集まりにあたる会合が、この砦で開催された。
砦の砲台があった一帯は、現在はバッテリー・パーク(「バッテリー」は「砲台」の意)と呼ばれる公園となっている。砦の跡地には、アレクサンダー・ハミルトン合衆国税関が建っており、現在は、国立アメリカ・インディアン博物館の一部であるジョージ・グスタフ・ヘイ・センター (George Gustav Heye Center) がこの建物に入っている。
== 歴史 ==

=== オランダによる支配:1625年 – 1664年 ===

現在、アレクサンダー・ハミルトン合衆国税関が建っている砦の敷地は、現在のバッテリー・パークの場所が埋め立てられるまでは、海岸線に臨んでいた。
この砦は、ニューアムステルダム入植地の中核となっており、ハドソン川流域のオランダ(ネーデルラント連邦共和国)領ニューネーデルラント植民地を、イングランドフランスの攻撃から護る使命をもっていた。
1620年ころ、オランダ東インド会社は、イングランド人建築家イニゴー・ジョーンズに、港湾を護る要塞の設計を委嘱した。ジョーンズは、石と石灰岩で築き、に囲まれ、大砲で護られた、星形の要塞の平面図を添えて、返信の書簡を送った。ジョーンズは同社に、急ぐあまりに木製の砦を建設することはよくないと助言した。
砦の建設は1625年に着手されたが、指揮を執ったのは、ニューネーデルラント植民地の2代目の指導者ウィレム・ヴェアハルスト (Willem Verhulst) とその下で働いていた主任技師クライン・フレデリックス (Cryn Fredericks) であった。この年の年末までに、フレデリックは敷地の調査を終えた。フレデリックは、1626年11月に本国へ帰国した。当時のマンハッタンは、入植はほとんど進んでおらず、オランダ西インド会社の活動の大部分は、ビーバー毛皮の交易を目的として、ハドソン川を遡った地域で展開されていた。
ジョーンズの書簡における要請にも関わらず、砦の完成を急ぐ必要から、石造りの要塞という計画は放棄された。そのおもな要因としては、
* 北アメリカにおけるビーバーの交易を競っていたイングランドフランスからの脅威が高まり、植民地の領有を主張する動きにもなっていたこと
* 毛皮交易も原因のひとつとなって、モホーク族マヒカン族の争いがハドソン河谷 (Hudson Valley) 上流部で激しくなっていたこと
* オランダ西インド会社が十分な収益を上げられず、石造の砦は出費が大きくなりすぎると考えられたこと
* 適切に石造の砦を造るために必要な技術を持った労働者も、天然資源も、調達できる状態になかったこと
などが挙げられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォート・アムステルダム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fort Amsterdam 」があります。




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