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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フォード・C100は、ザクスピードが1982年世界耐久選手権(WEC)参戦用に製作したフォードのグループCカーである。 ==概要== 1982年より、世界耐久選手権は、排気量無制限・燃料総量規制のあるプロトタイプレーシングカーグループC規定で争われることになった。このグループC規定に合わせフォードは、それまでドイツ国内選手権にグループ5(シルエットフォーミュラ)仕様のフォード・カプリで参戦していたザクスピードにマシンの製作、チーム運営を託し参戦することになった。 シャシー設計はトニー・サウスゲート、エンジンはF1用フォード・コスワースDFVを3.95リットルにスケールアップしたDFLを搭載した。デビュー戦はグループCのスタートとなる前年の1981年WEC最終戦ブランズハッチ1000km。いきなりポールポジションを獲得するも決勝はリタイヤとなる。 グループCが本格的にスタートした1982年からWECにフル参戦する。開幕戦モンツァでは予選6位、決勝はリタイヤに終わっている。 続く第2戦はシルバーストン。ここでポルシェもグループC956をデビューさせた。60年代のフォード対ポルシェの対決が再現されたのである。しかしポルシェがル・マン24時間レースで、1-2-3フィニッシュを決め、WECシリーズを制したのに比べ、フォードはポールポジション2回、決勝最上位は最終戦のブランズハッチの4位に留まった。 翌1983年もフォードはWECに参戦する予定であったが、シリーズ開幕直前の3月になって急遽参戦を断念、撤退することになった。その後フォード・C100はプライベーターに売却され、ドイツ国内選手権を戦うこととなる。 フォードのDFLエンジンは、その後も各コンストラクターに搭載されWECに参戦するが、C1では戦力的に厳しく、主にC2マシンに搭載され参戦を継続して行くこととなる。フォードのエンジンがスポーツカーのトップカテゴリーに戻って来るのは、1991年のSWCにて、フォード傘下となったジャガーのXJR-14に、当時F1でベネトンに搭載されていたHBが移植される時まで待たなければならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォード・C100」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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