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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スコーピオ(''Scorpio'' )は、1985年から1998年にかけてフォード・モーターがドイツ、ケルンの工場で製造していたエグゼクティヴカーである。フォード社内ではDE-1のコードネームで知られるこの車はグラナダの後継車であった。しかし英国内では従前通りグラナダのバッジを付け、スコーピオのバッジは最高級グレードにのみ(''Granada Scorpio'' の様に)付けられていた。1994年に第2世代に移行する段階で他の市場と共通のスコーピオに統一された。フォード・スコーピオは1986年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。 == マークI == === 1985-1994年 === スコーピオは技術的には多くをシエラを基礎としており、シエラのフロアパン(床構造)を引き伸ばしたものを使用し、そのスタイリングはシエラとエスコート マーク3と同じデザイン哲学を基礎にしていた。エンジンは充分に実力を実証された排気量1.8Lと2.0Lの古臭いピント・エンジン(''Pinto engine'' )と2.4L、2.8L後に2.9Lに拡大されたV6のケルン・エンジン(''Cologne engine'' )で始まった。1989年に2種のピント・エンジンは廃止され2.0 Lは8バルブのDOHCエンジンに替えられた。 スコーピオは、ヨーロッパ市場でエグゼクティヴカーを購入しようとしている人がメルセデス・ベンツやBMWと並べる主要な選択肢としてフォードの車を挙げるような地位を保ち続けるような役割を持たされていた。フォードは既に前モデルであるグラナダ MkIIで広範囲に渡る各種装備(この時期にはヒーター付電動調節革シート、エアコン、電動サンルーフ、トリップ・コンピューター等のような特別装備が装着できた)を装備して市場に非常に新しい技術を提供してきた。スコーピオではヨーロッパ・フォードでは最初となる熱線ウインドスクリーン、クルーズコントロールや四輪駆動が含まれていた。スコーピオは背もたれのホールド感に欠けるのが多少評価を落としつつも非常に乗り心地が良く後部座席の足元の空間も広かったが、頭の側方空間は驚くほど狭かった。スコーピオの最大の長所はヨーロッパの量産車で初めて全てのグレードに渡り標準でアンチロック・ブレーキ・システムを装備したことであった。 グラナダとは異なりスコーピオは当初セダンやエステートはなくハッチバック型しか提供されなかった。これはフォードの誤りであることが判り1990年にセダンが、2年後にはワゴンが追加された。数年間の間技術的にはほとんど変更はなく、特筆すべき物は1989年にDOHCエンジンが搭載され、翌年には2.9 L 24バルブのコスワース製V6エンジンを搭載したスコーピオン・コスワースが導入された。多くのシエラ所有者が破損したグラナダからコスワース製エンジンを外しシエラに搭載しアップグレードを図った。これは200+ BHPの出力を手に入れる安価で簡単な手法であった。これらのエンジンの中にはターボチャージャーを装着したものもあり、このエンジンはモータースポーツにも使用された。 コスワース製エンジンは大きく速かったので必然的に燃料消費率は悪かった。多くのオーナーが実際にこのエンジンで出せるのはせいぜい8.8km/L(25マイル/ガロン)程度であると述べていた。初期のマークIコスワースでは経年によりプロペラシャフトに問題が発生することがあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォード・スコーピオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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