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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ザ・フォー・ホースメン(The Four Horsemen)は、1986年から1990年代後半にかけて、アメリカ合衆国で活動したプロレスのユニットの名称。NWAのジム・クロケット・プロモーションズで結成され、その後継団体のWCWでも活躍した。親指を除く4本の指を突き立てるポーズをトレードマークに、アメリカのプロレス界において伝説的な名ユニットとして語り継がれている〔リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P215-221(2004年、エンターブレイン、ISBN 4757721536)〕。 == 概要 == 結成時のオリジナルメンバーはリック・フレアー、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、マネージャーのJ・J・ディロン。当初は特に名前は付いていなかったのだが、アーン・アンダーソンがインタビュー中で「俺たちは言わば『黙示録の四騎士(''The Four Horsemen of Apocalypse'')』だ」と発言し、これがユニット名に採用された〔。 AWAのヒーナン・ファミリーなどの前例と同様、実力派のヒールたちがユニットを組んだホースメンは絶大な悪役人気を博した。互いに協力して試合への乱入や相手選手への襲撃を繰り返し、フレアーがNWA世界ヘビー級王座を、ブランチャードがNWA・TV王座もしくはNWA・US王座を、オレイ&アーン・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーがNWA世界タッグ王座を常時保持していた。グループのキャラクター・イメージは流行の服を着こなし、高級車を乗り回し、美女を侍らせ豪遊する「大人の男」。実際これはリングの上だけではなく、当時の彼らの凄まじい豪遊の武勇伝はいくつも残っている〔。 1987年にオレイ・アンダーソンが一度脱退し、レックス・ルガーが加入。翌年にはルガーがフレアーと抗争に入り追放され、入れ替わりにバリー・ウインダムが加入した。ホースメンの全盛期はこの頃まで。同年にはブランチャードとアーン・アンダーソンがWWFに移籍。その後も会社側(WCW)の要望もあり、スティング、シッド・ビシャスなどを加えユニットを継続していくが、かつての勢いは無く消滅していく。 その後もWCWはストーリーの展開につまるとホースメンを復活させ、ポール・ローマ、クリス・ベノワ、ブライアン・ピルマン、ディーン・マレンコ、ジェフ・ジャレット、カート・ヘニングなど数々のレスラーがホースメンのメンバーに名を連ねることとなった。1998年に、ホースメンの存在を批判していたエリック・ビショフとフレアーが対立し、フレアーのWCW離脱騒動が取りざたされるが、アーン・アンダーソンの仲介によって再びフレアーを迎え入れ復活するという出来事があった。 クリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)とディーン・マレンコは新日本プロレス限定で獣神サンダー・ライガー、ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)と共に、ジュニア・フォー・ホースメンとして一時期活動した。 2003年、WWEでは初期ホースメンをオマージュしたエヴォリューションというユニットが、ホースメンのリーダー格であったフレアーを参謀に迎えて結成された。 2010年、TNAではフォーチュン(''Fortune'')というユニットが結成され、WWEのエボリューションと同じくフレアーを参謀として迎えるが、メンバーを4人に固定せずに拡大していき大型ユニットとして活動した。 2012年、フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード、バリー・ウインダムの4人が、マネージャーのJ・J・ディロンと共にフォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォー・ホースメン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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