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フサイチパンドラは日本の競走馬、繁殖牝馬。おもな勝ち鞍はエリザベス女王杯、札幌記念。父サンデーサイレンスのラストクロップ(最終世代)である。 == 戦績 == 2005年11月12日、京都競馬場の2歳新馬戦で初勝利。2戦目に出走した阪神ジュベナイルフィリーズで3着となった。 3歳になってきんせんか賞で2勝目を挙げ、続くフラワーカップでは2着となり賞金を加算。牝馬クラシック初戦の桜花賞は14着と敗れたが、角田晃一から福永祐一に乗り替わった優駿牝馬(オークス)ではカワカミプリンセスに続く2着となった。 秋になってからは、ローズステークスで3着に入ると、秋華賞でも3着。その後エリザベス女王杯へ出走し2位に入線した。しかし、1位で入線したカワカミプリンセスが、最後の直線で他馬の進路を妨害し12着に降着となったため、繰り上がりで優勝。日本でのGI繰り上げ優勝は1991年天皇賞(秋)のプレクラスニー以来15年ぶり2頭目であった。ただ、陣営も繰り上がり優勝には戸惑いを隠せなかった上に、鞍上の福永祐一も、古馬になってからのカワカミプリンセスと改めて再戦を望むコメントをしている。なお、この勝利により父サンデーサイレンスは全世代でGI馬を輩出する快挙を達成した。その後、ジャパンカップに出走すると、二冠馬メイショウサムソンなどに先着し、5着と健闘した。 古馬になって初戦には地方競馬のエンプレス杯に出走し2着となったが、以後しばらく不振に陥り、夏まで4戦して最高5着という成績だった。しかし秋口に出走した札幌記念〔本来8月最終週に行われる競走だが、この前週に発生した馬インフルエンザにより当週に延期された。また、フサイチパンドラ自身もインフルエンザ陽性と診断されていた。〕で、初騎乗の藤田伸二を背に逃げきりで優勝し、きんせんか賞以来の1位入線、エリザベス女王杯以来の復活勝利を果たした。その後エルムステークス11着を経て、エリザベス女王杯に出走。2年連続の2位入線で、ダイワスカーレットに続く2着となった。以後ジャパンカップで9着となったのち、有馬記念での引退が発表される。しかしレース前日に左寛跛行のため出走取り消しとなり、そのまま競走馬引退となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フサイチパンドラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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