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フサイン・カーミル : ミニ英和和英辞書
フサイン・カーミル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フサイン・カーミル : ウィキペディア日本語版
フサイン・カーミル[ちょうおん]

フサイン・カーミル(Husayn Kamil, 1853年11月21日 - 1917年10月9日)は、ムハンマド・アリー朝エジプトスルタン(在位:1914年 - 1917年)。先代アッバース・ヒルミー2世の叔父。
1853年生まれ。第一次世界大戦が1914年7月に勃発し10月にオスマン帝国(現在のトルコ)が、イギリスに宣戦布告すると先代は、トルコに協力しようと国民に呼びかけたためにイギリスに廃され、代わりに彼が即位させられた。温厚で実務能力が高かったが、「甥こそが正統な副王である」と主張して即位要請を二度に渡って拒否する。しかし、王朝そのものの廃絶を示唆されてやむをえず「スルタン」と改称した君主の地位についた。同年、エジプトは、イギリスの保護領になった。
即位と同時にイギリス軍は、戒厳令を引き報道規制して民族運動を押さえ込んだ。エジプトは連合軍の重要な作戦拠点となり、戦争特需によって一部の金持ちは潤ったが、大多数の国民は生活必需品の価格高騰に苦しんだ。特に軍役夫の徴用が怨嗟の的になった。こうしたなか1917年に病死する。
== 参考文献 ==

* 『エジプト近現代史 ムハンマド・アリ朝成立から現在までの200年』 山口直彦(著) 明石書店  2006年


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フサイン・カーミル」の詳細全文を読む




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