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フジグラン広島 : ミニ英和和英辞書
フジグラン広島[ふじぐらんひろしま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [しま]
 【名詞】 1. island 

フジグラン広島 : ウィキペディア日本語版
フジグラン広島[ふじぐらんひろしま]

フジグラン広島(フジグランひろしま)は、広島県広島市中区にある『コミュニティー型ショッピングセンター』 (CSC) 〔 - フジ 2011年10月3日プレスリリース 6ページ〕である。愛媛県松山市に本社を置く株式会社フジが運営している「フジグラン」の一店。
前身の『山陽高等学校』及び『十和本社』にも触れて、建物及び敷地についてもその記事で扱う。
== 概要 ==
フジとしては30店舗目、広島地区に2番目に出店した店舗である。出店表明自体は『フジショッピングスクエア高陽店』(現・フジグラン高陽1981年(昭和56年)9月開店)より先に、広島地区で初めて出店表明された店舗である〔中国新聞 1978年9月27日 8ページ『十和が広島・山口でスーパー展開 本社用地に広島店 4年間に20店舗計画 商戦の激化は必至』〕〔『十和30年史』152ページでは、広島地区への出店意思を1978年10月8日愛媛新聞で掲載。その中で広島店の記述がある。また、中国新聞1979年7月10日6ページ『高陽ニュータウンのショッピングセンター 核テナントにフジ』では、高陽店がフジの出店の具体化は初めてとある〕。フジ内での位置づけは、開店当初は『中国地区進出を図るフジの拠点』〔中国新聞 1982年10月15日 6ページ『フジ広島店 開店初日に8万人 記念セールでごった返す』〕・『広島母店』〔中国新聞 1981年9月12日 6ページ『スーパー競争激化へ 四国最大手のフジ 19日に高陽店オープン 来夏には"広島母店"も』〕とし、2011年(平成23年)の改築完成時にも基幹店と位置づけている〔中国新聞 2011年10月15日 9ページ『インタビュー SC建て替え 広島都市圏の戦略は フジ尾崎英夫社長 より狭いエリア深掘り 新たに3~5年で10店』〕。
フジ店舗になる前は、当時の親会社であった十和〔広島店開業時点でフジは十和の完全子会社で、フジと十和は『十和・フジ流通グループ』と十和の小売部門的な存在あった。フジが完全子会社で無くなるのは、フジが上場した1987年(昭和62年)以降の話である。十和は1991年(平成3年)に社名を『アスティ』に変更。2005年(平成17年)に、事業会社と持株会社の会社分割を行い、アスティはF&Aアクアホールディングス(現・ヨンドシーホールディングス)に社名を改めた上で持株会社化。新たに事業会社アスティを設立した〕の本社兼店舗であった歴史もある。さらに前は『山陽高等学校』だった。山陽高校時代に建てられた一部の建物に関しては、十和本社や初代のフジグラン広島の店舗としても使われた。
現在の建物は、2011年(平成23年)に完成した2代目の建物になる。全面改装以降の商圏は半径5km以内41万人(21万世帯)に見直され、より狭いエリアの商圏を意識。以前の広域から集客を期待した戦略を見直した。具体的には、単身赴任などを意識し、総菜類などを強化。前店舗で弱かった20歳代から30歳代の集客を意識し、同年代向けのテナントの招致を行ったりした。核テナントは食品スーパー『グランヴェスタ』と衣料品・住環境商品を取り扱う『グランフジ』で、また広島地区の他のショッピングセンターに無い特徴として、4階にフジ系列のスポーツクラブフィッタ』を配置している〔 - フジ 2011年9月27日プレスリリース〕。
今回の改装で、初代店舗閉店から2代目店舗開店まで約1年半(初代店舗の営業縮小からは2年を超える)かかるリスクもあったが、建物建築に関しては十和の本社時代から40年以上過ぎ老朽化が進行〔山陽高等学校の校舎部分は50年過ぎた部分も存在した〕。天井が低い、店内に不必要な段差があるなど構造上の問題も多かったことより、建て替えの判断になった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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