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フジ矢株式会社(ふじや、''FUJIYA Co.,Ltd.'' )は、大阪府東大阪市に本社をおく、FUJIYAブランドのペンチ・ニッパーを主力とした工具を製造販売する企業。1923年創業の老舗工具メーカーであるが、3代目社長のビジョンにより商品もブランドイメージも近代化した。 == 概要 == 創業者の道本佐一郎(みちもと・さいちろう)は和歌山県北部の村に生まれ。大正5年、15才の時に見習工として大阪の鶴橋にあつたペンチメーカーの池田鉄工所に入社した。この頃のペンチの素材は使用済み鉄道レールで、ハンマーやヤスリなどを使って作っていた。大正12年、21才で兄の道本岩太郎と二人で独立しペンチ工場「道本鉄工所」を創業する。昭和10年前後になると軟鋼を浸炭焼入れした靱性や強度が格段に向上したペンチを作れる様になり生産量も月8000丁となる。 1937年に起きた支那事変後、陸軍要請の馬蹄用釘抜き工具や海軍航空機用搭載工具の注文が主となり、「富士矢(ふじや)」マーク入りのペンチ作りは激変している。終戦後の復興とともにペンチの需要も激増し、品質を重視した佐一郎の物作りが「富士矢」マークのペンチをブランドとして定着していった。1946年通信省の指定工具となり電信事業で普及し、電力会社や国鉄でも使用された。1951年に初のペンチJIS指定工場となった事でも有名である〔広田民郎『作業工具のすべて』 グランプリ出版、2014年9月10日、190-192頁。〕。 ペンチの国内販売シェア27%~28%(2007年)を占める、ペンチのトップメーカーである〔日刊工業新聞2007年11月27日 ">日刊工業新聞2007年11月27日 〕。現在商品のアイテム数は約500点になっている。 経済産業省「元気なモノ作り企業300社2007年版」に選出され、H19年6月19日に経済産業大臣より表彰される〔中小企業庁モノ作り中小企業300社 〕。その他に多数受賞表彰されている。 1998年に29歳の若さで就任した3代目野崎恭伸社長は、読売テレビ勤務の経験を活かして経済産業省のIT活用型経営革新モデル事業で、販売見込みと生産を連動させ、コストダウンに成功した。パソコンに振り回されることなく一歩一歩、地道にIT化に取り組む姿勢が評価される。その結果、売上10%増・5%のコストダウンに成功する〔産経機械新聞2003年12月18日 〕。 「フジ矢」の社標は、日本一の富士山と岩盤をも砕く強い矢を意味し品質へのこだわりを表す。このトレードマークをCI導入し2002年に一新している〔日本産機新聞2002年9月2日 〕。製品は開発段階からデザイナーを参加させ、パッケージも含めてそれまでの機能のみの泥臭い工具イメージから、洗練されたプロ用工具として、フジ矢商品のイメージを一新した〔産経新聞2005年1月27日 〕。 2004年には、中国上海市周辺の日系企業1700社をユーザーとして、貿易商社と共同で営業拠点を上海市内に設置する〔日刊工業新聞2004年10月25日 ">日刊工業新聞2004年10月25日 〕。 2014年、東大阪本社工場とベトナム工場で、それぞれ月産5万丁、3万丁の合計8万丁のペンチ類を生産している。従業員数はそれぞれ約80人ずつである。国内90%、輸出10%の販売割合であり、OEMが10%となっている〔広田民郎『作業工具のすべて』 グランプリ出版、2014年9月10日、192頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フジ矢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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