翻訳と辞書
Words near each other
・ フバイ
・ フバイ・イェネー
・ フバイ国際空港
・ フヒト
・ フビニ-トネリの定理
・ フビニ–トネリの定理
・ フビニの定理
・ フビニ・スタディ計量
・ フビニ・トネリの定理
・ フビニ=トネリの定理
フビライ
・ フビライハン
・ フビライ・カン
・ フビライ・カーン
・ フビライ・ハン
・ フビライ・ハーン
・ フビライ・ハーン (元朝)
・ フビーネ
・ フフ
・ フファット (戦車)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フビライ : ミニ英和和英辞書
フビライ[びら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビラ : [びら]
 【名詞】 1. villa 2. handbill 3. poster 4. , (n) villa/handbill/poster

フビライ ( リダイレクト:クビライ ) : ウィキペディア日本語版
クビライ[びら]

クビライモンゴル語20px Qubilai, Khubilai、1215年9月23日 - 1294年2月18日)は、モンゴル帝国の第5代皇帝(大ハーン)。同時代のパスパ文字モンゴル語およびモンゴル文字などの中期モンゴル語のラテン文字転写では Qubilai Qa'an、Qubilai Qaγan。現代モンゴル語のキリル文字転写では。漢字表記は忽必烈。『集史』をはじめとするモンゴル帝国時代のペルシア語表記(『集史』「クビライ・カアン紀」など)では قوبيلاى قاآن Qūbīlāī qā'ān など書かれる。死後に尊号を追諡され「賢きカアン」を意味するセチェン・カアン(Sečen Qa'an 薛禪皇帝)と号した。
大元ウルス時代に書かれたパスパ文字モンゴル語での表記や上述のペルシア語文献といった同時代における多言語資料の表記などによって、当時の発音により近い形への仮名転写として、クビライ・カアン(カーン)という表記がされる。一方、現代モンゴル語では (Khubilai khaan) と書かれ、また近現代のモンゴル文字文献の表記や発音に基づいてフビライ・ハーンと表記することも多く見られる。
その即位にあたる内紛からモンゴル帝国は皇帝であるカアン (Qa'an) を頂点とする緩やかな連合体となり解体が進んだ。これに対してクビライは、はじめて国号を「大元」と定め、帝国の中心を中国華北に移動させるなど様々な改革を打ち出した。クビライの代以降、カアンの直接支配領域はモンゴル帝国のうち中国を中心に東アジアを支配する大元ウルス(大元大蒙古国)に変貌した。
== 生涯 ==

=== 即位以前 ===
1215年にチンギス・カンの四男トルイの子として生まれた。母はケレイト部族出身のトルイの正夫人ソルコクタニ・ベキで、トルイがソルコクタニとの間に設けた4人の嫡出子のうちの次男にあたり、兄に第4代皇帝となったモンケ、弟にイルハン朝を開いたフレグ、クビライとモンゴル皇帝(カアン)位を争ったアリクブケがいる。青年時代の事歴についてはほとんど知られていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クビライ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kublai Khan 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.