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フミノトキメキは日本の競走馬である。 2003年12月14日に阪神競馬の新馬戦でデビューするも、以後10戦連敗、地方競馬の荒尾競馬場へ転入する。 のちにJRA(日本中央競馬会)へ戻り、2005年5月15日に主戦騎手として石山繁を鞍上に迎え、障害競走デビュー。デビュー戦と2戦目は連続で3着に終わるが、3戦目で初勝利を挙げ、続くオープンで連勝を飾ると、次走の小倉サマージャンプでは2着のイブキリムジンオー以下に大差をつけて3連勝と重賞初制覇を果たした。4連勝を狙って臨んだ阪神ジャンプステークスでは、2周目8号障害で落馬を喫し競走中止に終わった。 長期休養があけて、復帰戦は2006年10月28日の500万下条件戦に出走するが5着。さらに続いては障害競走に戻り一番人気に支持されたものの3着に敗れたが、12月23日に行われる中山大障害への参戦が決定した。3番人気に推されるが12着と大敗する。年明け初戦は中1週で望んだ牛若丸ジャンプステークス。7番人気と低評価だったが、2着マルブツトップ以下に大差をつけレコード勝ちを飾った。 2007年は春麗ジャンプステークスに出走。コウエイトライなどの強豪が揃ったレースで3着に入った(レース中、前の馬の脚から外れて飛んできた蹄鉄が、同馬の顔に突き刺さるというアクシデントに見舞われながらの完走であった)。しかし続いてのペガサスジャンプステークスでは1番人気に支持されるものの最初の水濠障害で落馬、競走中止となった。その後の東京ハイジャンプ、小倉サマージャンプでは共に見せ場なく敗れた。 その後、屈腱炎により約1年間の休養後、2008年はオープン、阪神ジャンプステークスと2走してともに見せ場なく終わり、9月24日にJRA競走馬登録を抹消し、引退した。現在は滋賀県の湖南牧場で乗馬となっている。 == 血統表 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フミノトキメキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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