|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フョードル・イポリトビッチ・シチェルバツコイ、シシェルバツコイもしくはスチェルバッコイ(、 、露:、1866年10月1日 - 1942年3月12日)は、ロシアのインド学者。西洋における仏教および仏教哲学の研究機関の設立に貢献した。 == 生涯 == ポーランドのキェルツェ(旧ロシア帝国領)生まれ。ツァールスコエ・セロー・リツェイ(ロシア皇帝アレクサンドル1世が1811年にサンクトペテルブルク郊外に設立した学校)で学び(1884年卒業)、サンクトペテルブルク大学歴史文献学部を1889年に卒業。、セルゲイ・オルデンブルクに師事。その後海外に派遣され、ウィーンにての下でインド詩文を、ボンにて の下で仏教哲学を学ぶ。1897年に、オルデンブルクとともに、稀少仏教テクストを収蔵した「佛教文庫」(Bibliotheca Buddhica)の出版を開始する。 インドおよびモンゴルへの旅行(ゲルク僧より学んだとされる〔金岡秀友「フョードル・イッポリトウィチ・シチェルバトスコイ伝」『大乗仏教概論』所収, 1957。 〕。)を終えた彼は、1903年に「後期仏教教義の理論(Theory of Knowledge and Logic of the Doctrine of Later Buddhists)」第1巻(ロシア語)を刊行する〔''Teoriia poznaniia i logika po ucheniiu pozdnieĭshikh' buddistov'' ( 2 vols., S.-Petersburg: Tip. "Gerol'd", 1903-1909 ) - Vol. I: ''Uchebnik logiki Darmakirti s tolkovaniem na nego Darmottary'' ( 1903 ) ( Note: Vol. 1 includes a translation of Dharmakirti's ''Nyāyabindu'' and Dharmottara's ''Nyāyabindutīkā''. ) - Vol. II: ''Uchenie o vospriĭ a tiĭ i umozakli u cheniĭ'' ( 1909 ).〕(全2巻。1903-1909年刊)。1928年、サンクトペテルブルクに仏教文化研究所(Institute of Buddhist Culture)を設立。 「仏教における涅槃の概念(The Conception of Buddhist Nirvana)」(英語。1927年刊)は、西洋世界において評判となった。続いて出版した主著「仏教論理学(Buddhist Logic)」(全2巻。英語。1930-32年)は現代仏教学に大きな影響を及ぼした。 1942年、カザフスタンのボロボイ(Borovoye)〔カザフスタン北部のアクモラ州シュチンスクから北北西約15マイル(24km)に位置するリゾート地。〕にて死去。 母国での知名度は上がらなかったが、サンスクリット語やチベット語の分野では、ネルー(インド初代首相)やタゴール(ノーベル文学賞受賞)らからも称賛された。ブリタニカ百科事典(2004年版)では、彼のことを「西洋における仏教哲学の第一人者」と表現している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フョードル・イポリトビッチ・シチェルバツコイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|