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フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ : ミニ英和和英辞書
フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ : ウィキペディア日本語版
フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ[ちょうおん]
フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ(、1880年 - 1971年)は、20世紀日本で活動した白系ロシア人の実業家。ロシアシンビルスク出身。創業期の神戸モロゾフ製菓株式会社(後のモロゾフ株式会社)で取締役を務めたが経営を巡って代表取締役らと紛争を起こし袂を分かった。コスモポリタン製菓の創業者ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは子。
== 生涯 ==

=== ロシア革命時に亡命、ハルビン、シアトルを経て神戸へ ===
1880年ロシアシンビルスクで生まれる。生家は祖父の代から続く商家であった〔川又1984、19頁。〕〔川又1991、7頁。〕。フョードルは盛んに交易を行って家業を発展させ、第一次世界大戦時には軍馬・軍服の調達にあたるなどロシア帝国のために働くようになった〔〔川又1984、19-20頁。〕。
1917年ロシア革命が勃発すると、家族を連れてハルビンへ逃れた。フョードルはハルビンを拠点に貿易を行い、白軍を支援しようとしたが計画は頓挫。1923年、家族とともにハルビンを離れアメリカ合衆国シアトルへ移住したが生活が成り立たず、1924年にシアトルを離れ日本神戸へ移住した〔川又1984、42-44・47-49・54-56頁。〕〔川又1991、6-28頁。〕。
神戸でははじめ羅紗卸売を行っていた〔川又1984、19頁。〕が、日本が急速に西洋化しようとしていたことに目をつけ、西洋の食料品を売る事業を興そうと考えた。試行錯誤の末、チョコレート菓子を中心に洋菓子を販売することにした。1926年3月、フョードルは白系ロシア人の菓子職人を雇いトアロード103番地に「Confectionery F.MOROZOFF」を開店した。この時、子のヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフも通っていた学校をやめ、菓子職人として店を手伝うことになった〔川又1984、60-64頁。〕。フョードルにはハルビンやシアトルで菓子の製造に従事した経験があった〔川又1984、39-40、51頁。〕〔川又1991、23-24、26頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ」の詳細全文を読む




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