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フョードル・セラフィーモヴィチ・ドルジーニン(, Fyodor Syerafimovich Druzhinin、1932年4月6日 - 2007年7月1日)は、ロシア生まれのヴィオラ奏者、作曲家、音楽教育者、ロシア共和国人民芸術家(、1988年)、ソビエト連邦作曲家同盟会員(、1990年から)。 == 略歴 == 1932年モスクワ生まれ。 父:セラフィム・ニコラエヴィチ・ドルジーニン()、有名な芸術学者でトレチャコフ美術館職員。 母:ナターリヤ・リヴォーヴナ・ドルジーニナ()、文学者。 おじ:アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ドルジーニン()、モスクワ大学教授、イタリア声楽の専門家。 1955年中央音楽学校(ソコロワのクラス)とモスクワ音楽院(ボリソフスキーのクラス)を卒業。 1957年に全ソ・音楽コンクールで第1等、モスクワ・フィルハーモニー協会のソリストになる。 1964年からヴァディム・ボリソフスキーの後任としてベートーヴェン弦楽四重奏団のヴィオラ奏者になり、1987年までその地位にあった。 1958年にモスクワ音楽院で教えはじめ、1978年にヴィオラとハープ科主任、1980年より教授になった。 ドルジーニンの弟子にはユーリ・バシュメット、ユーリ・トカノフ、アレクサンドル・ボブロフスキー、エレーナ・オゾル、スヴェトラーナ・ステプチェンコ、エカテリーナ・マルコワ、そしてマルガリータ・スピリドノワ等がいる。 作曲家としての主な作品は、無伴奏ヴィオラのためのソナタ(1959年)、無伴奏ヴィオラのための変奏曲(1968年)、ヴィオラと管弦楽のための幻想曲(1982年、1992年改訂)、2挺のヴィオラのためのシンフォニア(2003年出版)がある。 ショスタコーヴィチ作曲ヴィオラソナタの初演者、被献呈者。 著書に「回想録 〜人生と創造のページ〜()」がある。 2007年モスクワにて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フョードル・ドルジーニン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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