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フラウィウス円形闘技場 : ミニ英和和英辞書
フラウィウス円形闘技場[ば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まる, えん]
 【名詞】 1. (1) Yen 2. money 3. (2) circle
円形 : [まるがた]
 【名詞】 1. (1) round shape 2. circle 3. (2) circular form
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
闘技 : [とうぎ]
 【名詞】 1. competition 2. contest
闘技場 : [とうぎじょう]
 (n) arena
: [わざ]
 【名詞】 1. art 2. technique 
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 

フラウィウス円形闘技場 ( リダイレクト:コロッセオ ) : ウィキペディア日本語版
コロッセオ[ば]


ローマ中心部付近での位置(赤丸)

コロッセウム(, コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場()。現在ではローマを代表する観光地である。
== 歴史 ==

ウェスパシアヌス帝が即位した頃のローマは、ローマ大火(64年)やローマ内戦 (68年-70年)の甚大な被害から完全に復興しておらず、ネロ帝が行った放漫財政を正し財政の均衡目指しながら首都の再建を進めている時期であった。緊縮政策を取りながら、市民を懐柔するための娯楽施設の目玉として円形闘技場の建設が検討された。当時、ローマで剣闘士試合を行えるのは木造仮設で仮復旧していた収容人員約1万人のと、専用施設ではないため仮設の観客席を設ける必要があるやキルクス・マクシムスしか無かった〔。
この新円形闘技場(コロッセウム)はネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった人工池の跡地に建設されることとなった。この人工池の建設時に地表は10m近く掘り下げられて一部は岩盤に達していたため〔、円形闘技場建設時には基礎工事をいくらか省略することができた。工事はウェスパシアヌス治世の70年に始まり、ティトゥス治世の80年University of Virginia, Institute for Advanced Technology in the Humanities : Flavian Amphitheater 〕に、隣接するティトゥス浴場と同時に完成・落成した。使用開始に当たっては、100日間に渡り奉献式のイベントが行われ〔ビジュアルシリーズ 世界再発見1 フランス・南ヨーロッパ」p96 ベルテルスマン社、ミッチェル・ビーズリー社編 同朋舎出版 1992年5月20日第1版第1刷〕、模擬海戦が行われると共に、剣闘士試合で様々な猛獣5000頭が殺され〔、数百人の剣闘士が命を落としている。なお、続くドミティアヌス帝の治世中にも施設の拡張工事が続けられ、一般市民や女性が座る観客席の最上層部と天幕が完成した。地上から50mもの高さに天幕を張るために、ミセヌム海軍基地から派遣された海軍兵士が工事に従事したと言われる〔青木正規著 皇帝たちの都ローマ ISBN 4-12-101100-7 1992年発行第1版 p265-p266〕。
フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから「フラウィウス円形闘技場」が本来の名前である。しかし、ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたためそれと混同してコロッセウムと呼ばれるようになったという説や〔Martialis, Marcus Valerius、Sullivan, John Patrick、Whigham, Peter、1987年『Epigrams of Martial - Englished by divers hands』カリフォルニア大学、ISBN 0-520-04240-9 51ページ目参照。〕、円形闘技場があまりにも巨大な建物であったからコロッセウムと呼ばれるようになったという説〔青木正規著 皇帝たちの都ローマ ISBN 4-12-101100-7 1992年発行第1版 p257-p261〕がある。。
構造はローマン・コンクリート(火山灰を利用したコンクリート)で出来ている。鉄骨を用いないコンクリートにも関わらず幾多の地震の際も崩壊しなかったのは、全体が円筒形で力学的に安定していたためである。
ローマ帝国のキリスト教化に伴い血生臭い剣闘士競技は禁止されたと言われているが、443年に地震で破損したコロッセオの修復を行ったことを記念する碑文が残されており、地中海西部でのローマ帝国の支配が崩壊した6世紀でも修復の記録が残っていることから、古代末期までは競技場として使用されていたと考えられている〔本村凌二編著/池口守・大清水裕・志内一興・高橋亮介・中川亜希著『ラテン語碑文で楽しむ古代ローマ』(研究社 2011年)P118-119〕。
コロッセウムに使用されている建材は、中世を通じて他の建築物に流用され続けた。つまり一種の採石場とされていたのである。その大理石バチカンサン・ピエトロ大聖堂にも使用されている。それにもかかわらず往時の姿をとどめているのは、迫害されたキリスト教徒がここで殉教したと伝えられていたため、一種の聖地となっていたからである。しかし、キリスト教徒が迫害されたという明確な証拠はない。ローマ教皇ベネディクトゥス14世によりコロッセオは神聖であるとして保存されるようになった。現在外周は半分程度が残っている。古代の完全な状態に再現しようとする動きはなく、このままの形で保存されていくと考えられている。
1900年を越えた現在ではローマはイタリアの一都市となってしまったが、コロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。
かつて多くの殺人(公開処刑を含む)が行われた場所であることから、現在では死刑廃止のイベントのために使用されている。例えば、11月30日の「死刑に反対する都市(Cities for Life)」の日や、新たに死刑を廃止した国が出たときには、その記念としてコロッセオがライトアップされる。2007年1月には、イラクサッダーム・フセイン元大統領の処刑に抗議するために点灯された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コロッセオ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Colosseum 」があります。




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