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フラビア・ペンネッタ : ミニ英和和英辞書
フラビア・ペンネッタ[びあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer

フラビア・ペンネッタ : ウィキペディア日本語版
フラビア・ペンネッタ[びあ]

フラビア・ペンネッタFlavia Pennetta, 1982年2月25日 - )は、イタリアブリンディジ出身の女子プロテニス選手。イタリア人の女子テニス選手として、史上初の世界ランキングトップ10入りした選手である。彼女は2006年度の女子テニス国別対抗戦・フェドカップでイタリア・チームを初優勝に導いた代表選手の1人であり、4大大会でも2011年全豪オープン女子ダブルス、2015年の全米オープン女子シングルス優勝がある。自己最高ランキングはシングルス6位、ダブルス1位。これまでにWTAツアーでシングルス11勝、ダブルス17勝を挙げている。身長172cm、体重58kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。「ペネッタ」の表記揺れも多い。
== 来歴 ==
父親の手ほどきで5歳からテニスを始め、2000年にプロ入り。2003年からフェドカップイタリア代表選手になり、2004年8月にポーランド・ソポトの大会でツアー初優勝。2005年2月、コロンビアボゴタ大会とメキシコアカプルコ大会で2週連続優勝を果たす。この年から4大大会でも成績を伸ばし、全仏オープンパティ・シュナイダーとの3回戦、ウィンブルドンでもマリー・ピエルスとの4回戦に進出した。全米オープンでは女子ダブルスでロシアエレーナ・デメンチェワとペアを組んだが、決勝でリサ・レイモンド&サマンサ・ストーサー組に 2-6, 7-5, 3-6 で敗れて準優勝になっている。
2006年1月初頭にオーストラリアゴールドコーストで行われた「モンディアル・オーストラリア女子ハードコート選手権」準決勝で、この大会から現役復帰したマルチナ・ヒンギスを 1-6, 7-6, 6-2 で破った。しかし、決勝戦ではチェコルーシー・サファロバに 3-6, 4-6 で敗れた。この大会も含めて、2006年度のペンネッタは(前年に2週連続優勝した)ボゴタとアカプルトの大会で2連覇を逃し、3大会で準優勝止まりに終わっている。この年は団体戦のフェドカップで活躍し、「ワールドグループ」(世界最上位8ヶ国による)準々決勝のフランス戦、準決勝のスペイン戦でイタリア・チームの勝利に貢献した。初進出のワールドグループ決勝は、ベルギーとの対決になる。ペンネッタはシングルス第2試合でジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れたが、2勝2敗で迎えた最終第5試合のダブルス戦で、イタリアフランチェスカ・スキアボーネ&ロベルタ・ビンチ組が、ベルギーペアの途中棄権により勝利を収め、イタリアはフェドカップで初優勝に輝いた。
2008年全仏オープンで、ペンネッタは3回戦でビーナス・ウィリアムズを 7-5, 6-3 のストレートで破り、同大会での自己最高成績を更新した。しかし、続く4回戦でスペインの予選勝者カルラ・スアレス・ナバロに 3-6, 2-6 で敗れる。全米オープンで、ペンネッタはついに4大大会初のベスト8入りを果たし、全仏オープン準優勝者のディナラ・サフィナロシア)に 2-6, 3-6 で完敗した。
2009年8月17日付の女子テニス世界ランキングで、フラビア・ペンネッタは10位にランクされ、イタリア人女性として史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした。(それまでは、シルビア・ファリナ・エリアフランチェスカ・スキアボーネの「11位」がイタリア人女性のシングルス最高位であった。)その後、彼女は「第10シード」として全米オープンに出場し、2年連続のベスト8に入った。
2010年はヒセラ・ドゥルコアルゼンチン)とのペアでWTAツアー選手権などダブルス7勝を挙げた。11月のフェドカップではアメリカを相手にシングルスで2勝を挙げ、イタリアの2年連続優勝に貢献した。
2011年の全豪オープンではシングルス3回戦でシャハー・ピアーを 3-6, 7-6, 6-4 で破り全豪最高の4回戦に進出した。ダブルスではヒセラ・ドゥルコと組み決勝でビクトリア・アザレンカ&マリア・キリレンコ組に 2–6, 7–5, 6–1 で逆転勝ちして4大大会初のタイトルを獲得した。2月にはドゥルコと並んでダブルスランキング1位になった。全米オープンでは3回戦で第3シードのマリア・シャラポワを 6-3, 3-6, 6-4、4回戦で第13シードの彭帥を 6-4, 7-6(6) で破って2年ぶりのベスト8に進出した。準々決勝ではノーシードのアンゲリク・ケルバーに 4-6, 6-4, 3-6 で敗れた。


2012年に右手首の手術を受け6ヵ月ツアーから遠ざかりランキングを落としたが、2013年全米オープンでは2回戦で第4シードのサラ・エラニ、3回戦で第28シードのスベトラーナ・クズネツォワ、4回戦で第21シードのシモナ・ハレプ、準々決勝で第10シードのロベルタ・ビンチを破り、4大大会で初めてベスト4に進出した。準決勝では第2シードのビクトリア・アザレンカに 4-6, 2-6 で敗れ決勝進出はならなかった。
2014年3月のBNPパリバ・オープンでは決勝でアグニエシュカ・ラドワンスカを 6–2, 6–1 で破りシングルス10勝目を挙げた。2014年全米オープンではマルチナ・ヒンギスと組み女子ダブルスの決勝に進出した。決勝ではエカテリーナ・マカロワ&エレーナ・ベスニナ組に 6–2, 3–6, 2–6 で敗れ準優勝となった。
ペンネッタはオリンピックイタリア代表として、2008年北京五輪2012年ロンドン五輪の2大会に出場している。
2015年の全米オープンでは準々決勝で第5シードのペトラ・クビトバに4-6, 6-4, 6-2で勝利。準決勝で第2シードのシモナ・ハレプにに6-1, 6-3で勝利し、シングルス初の決勝進出。イタリア人対決となった決勝ではロベルタ・ビンチに7-6(7-4), 6-2のをストレート勝ちで下してグランドスラム初優勝を果たす。33歳6ヶ月での全米オープンシングルス優勝は1968年のオープン化以後では最年長ともなった〔33歳ペンネッタ 有終四大大会初優勝! 試合後驚き引退宣言 スポーツニッポン 2015年9月13日閲覧〕。試合終了後の表彰式のスピーチで「テニスにお別れを言いたい」と2015年限りでの現役引退を宣言した〔初Vペネッタ 突然の引退宣言 TENNIS365 2015年9月13日付〕〔。
9月28日付の世界ランキングで自己最高の6位に浮上。初出場で現役最後の大会となったWTAファイナルズは、第1戦で第1シードのシモナ・ハレプに敗れ、第2戦で優勝したアグニエシュカ・ラドワンスカに勝利。第3戦は第3シードのマリア・シャラポワに敗れ、1勝2敗のグループレッド4位で敗退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フラビア・ペンネッタ」の詳細全文を読む




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