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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フラワーショウ(ふらわーしょう、1961年10月 - 2006年)は、松竹芸能に所属していた浪曲漫才トリオ。テーマ曲は「道頓堀行進曲」「〽 ようこそ~ 皆さま~ ご機嫌宜しゅう~。 歌って~ 笑って~ フラワーショウ~。 どうぞ~ 宜しく~ 願います~。」。 == メンバー == *華ぼたん(はな ぼたん、本名:木下恒子、1927年12月21日 - 1989年5月29日、和歌山県出身) - 三味線担当、和服。立ち位置は向かって中央。 :浪曲師・吉田天洋の娘、6歳で初舞台。吉田奈良千代門下で修行を積み吉田駒千代を名乗る。長じて36歳で西川ヒノデに誘われ、歌謡浪曲カルテットの『西川ヒノデショウ』に加入、ヒノデと結婚して二代目西川サクラになり、夫婦漫才『西川ヒノデ・サクラ』(第二期)で数年間活動。 :ヒノデとの離婚を期に、自らのトリオ『フラワーショウ』で独立。浪曲で鍛えた喉で聴かせ、永年大看板を張るが、次第に仕事が減ってきてリーダーとしての責任を感じた末に鬱病をこじらせ、1989年5月に琵琶湖で入水自殺。享年62。 *華ばら(はな ばら、本名:木下千鶴子、1936年4月28日 - 2006年10月7日、兵庫県神戸市出身) - ギター担当、洋服、パンチパーマ風。立ち位置は向かって左。 :1961年に西川ヒノデの門下となる。1年程修行し後にぼたんの養女となる。1962年10月神戸松竹座で初舞台。ぼたん亡き後もフラワーショウの看板を守った。テンポのいいしゃべくりが特徴。2006年10月に肝不全のため死去、享年69。 *華あやめ(はな あやめ、本名:山下ルリ子、1940年10月30日 - 2016年3月9日)- 立ち位置は向かって右。 :浪曲師・杉原五月の娘。初代日吉川秋斎に預けられ、13歳で島川八代名の名で初舞台。日吉川系の『ジョウサンズ』ではなく、フラワーショウの立ち上げに参加した。1966年脱退し島川あゆみの名で東五九童の相方を務めたが、結婚を機に廃業した。享年76歳 *華ゆり(はな ゆり、本名:吉岡百合子、1947年2月25日 - 、岡山県出身) - ギター担当、和服 。立ち位置は向かって右。 :名人・初代京山幸枝若の妹。ぼたんの門下。1966年に2、3ヶ月ほど『東文章・華悦子』のコンビで漫才をしていたが、ぼたんに誘われ、1966年よりあやめと交替で加入、後に脱退し歌手に転向を熱望したが復帰。丸顔でボケ役。ばらとは対照的にスローテンポのしゃべくりが特徴。現在は髪を金髪にしている。 *華らん(はな らん、本名:名沢宏美、1947年 - 、三重県伊勢市出身)- 立ち位置は向かって右。 :父は旅回りの一座を組んでいた浪曲師。伊勢市立宮川中学校卒後、姉の夢みどり、姉婿のファンキー夢野、弟の夢洋二らと夢ひろみの名で地方巡業していた。みどり、かおる、みちこの四人で『ザ・ドリーム』を結成し、1968年の新世界新花月で初舞台。1969年に来阪し、その後『ザ・ドリーム』はメンバーが入れ替わったものの活動を続けた。ゆりの産休の助っ人として短期間参加、ゆり復帰後は廃業した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フラワーショウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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