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フランク・チャールズ・ボーリック(Frank Charles Bolick , 1966年6月28日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。 極端なオープンスタンスのクラウチング打法と勝負強さで千葉ロッテマリーンズの主力打者として活躍した。 == 来歴・人物 == マウントカーメル高校、ジョージア工科大学を経て、のMLBドラフト23巡目(全体の582番目)でミルウォーキー・ブルワーズから指名を受けるも契約せず、 のMLBドラフト9巡目(全体の227番目)で再びミルウォーキー・ブルワーズから指名を受け契約。 にモントリオール・エクスポズでメジャー初昇格。からは再びマイナー生活に戻るが、にアナハイム・エンゼルスでメジャー再昇格。 、打力不足に陥っていた千葉ロッテマリーンズに期待の大砲として入団。しかし、キャンプでは不調で開幕は二軍スタートであった。二軍の試合に出場していた最中に一軍昇格が決定し、急いで駆けつけた4月14日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で、徳元敏からいきなり来日初打席初本塁打を放つ(パ・リーグ史上20人目)という鮮烈のデビューを飾る。すると、翌日には延長10回裏にウィリー・バンクスから逆転サヨナラ2ランを放った。このように、ボーリックが本塁打を打った試合で、チームは22勝2敗1分けという圧倒的な勝率を残し、「ボーリック神話」と呼ばれた。但し、シーズン終盤には、あと1打席でパ・リーグタイ記録となる52打席連続無安打も記録している。来日前には三塁手を中心にしていたが、来日後は一塁手や指名打者としてのスタメン出場が多かったものの、ごくまれに三塁スタメンもあった。 5月2日にはサヨナラ本塁打を放ち1-0で勝利するという珍記録を残す(7年後、ソフトバンクの柴原洋がロッテの渡辺俊介から本塁打を放ち1-0で勝利するまでこの記録は無かった)。同年はオールスターゲームに出場。 には指名打者でベストナインを獲得した。同年7月9日に千葉マリンスタジアムで行われた対福岡ダイエーホークス戦で、ボーリックは10回裏3点ビハインドながら無死満塁という場面で打席に立ち、ダイエーの守護神・ロドニー・ペドラザから逆転サヨナラ満塁本塁打をバックスクリーン左に叩き込んだ(延長戦で3点ビハインドの状況下ではプロ野球史上初)。この試合は、一部で「ボーリックナイト」と呼ばれている。この試合では注文したバットが届かず、チームメイトのデリック・メイからバットを借りていた。なお、この試合の勝利投手は後にマリーンズのエース的存在となる小林宏之で、彼のプロ初勝利でもあった。 は新ストライクゾーンになったこともあってか不調。そして左ひざの故障で二軍落ちし、8月にはボーリックの退団が発表された。ロッテ時代2回退場処分を受けている〔日本プロ野球事件史―1934ー2013 (B・B MOOK 889 スポーツシリーズ NO. 759)、ベースボール・マガジン社、2013年、P113〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランク・ボーリック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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