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フランコ・ブルサーティ : ミニ英和和英辞書
フランコ・ブルサーティ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランコ・ブルサーティ ( リダイレクト:フランコ・ブルザーティ ) : ウィキペディア日本語版
フランコ・ブルザーティ[ちょうおん]

フランコ・ブルザーティ(, 1922年8月4日 - 1993年2月28日)は、イタリア脚本家映画監督である〔Franco Brusati, インターネット・ムービー・データベース , 2010年12月7日閲覧。〕。日本ではフランコ・ブルサーティと表記されることもある〔フランコ・ブルサーティ、allcinema ONLINE, 2010年12月8日閲覧。〕
== 人物・来歴 ==
1922年(大正11年)8月4日ミラノに生まれる〔。
第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に公開されたレナート・カステラーニ監督の『ローマの太陽の下で』で、助監督としてクレジットされている〔。1950年(昭和25年)から、脚本の集団執筆体制に加わり、クレジットされ始める〔。1955年(昭和30年)、 ''Il padrone sono me'' で映画監督としてデビューする〔。
1970年(昭和45年)、『ハーレムのチューリップ』が第23回カンヌ国際映画祭パルムドールにノミネートされコンペティション部門で上映される〔。
1974年(昭和49年)に監督した『パンとチョコラータ』は、同年第24回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、また同年ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞で欧州ダヴィド賞を受賞、同作は、翌1975年(昭和50年)にはナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞を受賞、1978年(昭和53年)には第44回ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞、同年の第3回セザール賞では最優秀外国映画賞にノミネートされる〔。同年、第31回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査委員を務める〔。
1980年(昭和55年)、『ベニスを忘れるため』が、第52回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされる〔。1983年(昭和58年)、第33回ベルリン国際映画祭コンペティション部門の審査委員を務める〔。
1993年(平成5年)2月28日、白血病のため、ローマで死去した〔。満70歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランコ・ブルザーティ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Franco Brusati 」があります。




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