翻訳と辞書
Words near each other
・ フランコ・フォーダ
・ フランコ・フラッティーニ
・ フランコ・ブリエンツァ
・ フランコ・ブリティッシュ・アビエーション H
・ フランコ・ブルサーティ
・ フランコ・ブルザーティ
・ フランコ・プロヴァンス語
・ フランコ・ペッリツォッティ
・ フランコ・ボッタリ
・ フランコ・ボッターリ
フランコ・ボニゾッリ
・ フランコ・マウリッリ
・ フランコ・マリア・マルファッティ
・ フランコ・マルゴーラ
・ フランコ・マルブリ
・ フランコ・マルヴリ
・ フランコ・モジリアニ
・ フランコ・モディリアーニ
・ フランコ・ラゼッティ
・ フランコ・ルッキーニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フランコ・ボニゾッリ : ミニ英和和英辞書
フランコ・ボニゾッリ[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

フランコ・ボニゾッリ : ウィキペディア日本語版
フランコ・ボニゾッリ[らん]

フランコ・ボニゾッリ(Franco Bonisolli, 1938年5月25日 - 2003年10月30日)は、1970年代から1990年代にかけて活躍したイタリアオペラ歌手テノール)・声楽家。よく延びる高音、アリアでのけれん味たっぷりの表現で有名だった。
== 生涯 ==
トレント自治県ロヴェレートに生まれる。1961年スポレートで開催された「二つの世界の音楽フェスティバル」(Festival dei Due Mondi)における国際声楽コンテストに優勝して注目され、翌年同地ヌォーヴォ劇場でのプッチーニ『つばめ』のルッジェーロ役でオペラ歌手としてのデビューを飾った。
キャリアの初期にあってはプロコフィエフ三つのオレンジへの恋』の王子役などの現代オペラ諸役、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォ役やドニゼッティ愛の妙薬』ネモリーノ役といったリリコ・レッジェーロの声質を得意としていた。
特に1960年代後半のボニゾッリはロッシーニ・オペラのスペシャリストとして有名であり、『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵役、『湖上の美人』のジャーコモ役、『コリントの包囲』のクレオメーネ役では絶賛を得た。クレオメーネ役は彼が1969年ミラノスカラ座デビューでも歌った役である。また1968年からはウィーン国立歌劇場のメンバーとなり、同劇場は生涯を通じての活躍の舞台となった。
1970年代に入り、ボニゾッリはよりドラマティックな諸役に進む。1980年代にはヴェルディ運命の力』のアルヴァーロ役、ジョルダーノアンドレア・シェニエ』題名役、ルッジェーロ・レオンカヴァッロ道化師』のカニオ役、ヴェルディ『オテロ』題名役など、往年の大テノール、マリオ・デル=モナコの演じた諸役を中心として活躍した。
中でもボニゾッリの名を有名にしたのはヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』のマンリーコ役と、プッチーニ『トゥーランドット』のカラフ役であった。それぞれの役での聴かせ所であるアリア「見よ、恐ろしい炎を」と「誰も寝てはならぬ」でボニゾッリは、指揮者、オーケストラ、合唱などすべてを無視し、声の続く限りフィナーレの高音を張り上げようと試みるのが常であった。その大向う受けを狙ったパフォーマンスは音楽評論家や演出家、あるいは端正な演奏を好む聴衆からは嫌悪されたが、支持者もまた多かった。
ボニゾッリはリサイタルのため数回日本も訪れており、上記アリアを中心に、物見高い日本の聴衆を意識した彼特有のパフォーマンスで一部の人気を得た。ただし、日本のクラシック愛好家や音楽関係者たちに、イタリア人テノール歌手全般に対するステレオタイプ的偏見を再び植えつけてしまった事実は否定できない。
2003年10月、ウィーンにて死去、65歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランコ・ボニゾッリ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.