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フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン : ミニ英和和英辞書
フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン : ウィキペディア日本語版
フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン[ちょうおん]

フランシスコ・デ・アシス・マリーア・フェルナンド・デ・ボルボン・イ・ボルボン=ドス・シシリアス(、1822年3月13日 - 1902年4月17日)は、スペイン女王イサベル2世王配カディス公。
== 生涯 ==
カディス公フランシスコ・デ・パウラカルロス4世の末子、フェルナンド7世モリナ伯カルロスの弟)とルイサ・カルロータ両シチリアフランチェスコ1世の長女)の次男(ただし、兄フランシスコはフランシスコ・デ・アシスの誕生前に生後1年半で夭逝しているので、実質的には長男である)。
名前の「フランシスコ・デ・アシス」はスペイン語で聖人アッシジのフランチェスコを意味する(父の名はパオラのフランチェスコにちなむ)。
1846年に父方でも母方でも従妹にあたる女王イサベル2世の配偶者(王配)となった。
2人の間には12人の子供が生まれたが、成人したのは4人である。
*イサベル1851年 - 1931年) 両シチリア王子ガエターノと結婚
*アルフォンソ12世1857年 - 1885年
*マリア・デ・ラ・パス1862年 - 1946年) 従兄のバイエルン王子ルートヴィヒ・フェルディナントと結婚
*エウラリア・デ・アシス・デ・ラ・ピエダ1864年 - 1958年) 従弟のガリエラ公アントニオと結婚
ただし、フランシスコ・デ・アシスは同性愛者もしくは性機能障害だったとの説があり、これらの子がいずれも実子であったかは疑問視されている。また父フランシスコ・デ・パウラもカルロス4世の実子でない可能性があり、どちらかが子供の実父でなかった場合、ボルボン家は男系では血統が入れ替わっていることになる。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン」の詳細全文を読む




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