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フランシスコ・ブーヨ : ミニ英和和英辞書
フランシスコ・ブーヨ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランシスコ・ブーヨ : ウィキペディア日本語版
フランシスコ・ブーヨ[ちょうおん]

フランシスコ・ブーヨFrancisco Buyo1958年1月13日 - )は、スペインガリシア州ア・コルーニャ県ベタンソス出身の元サッカー選手。ポジションはGKパコ・ブーヨ
== 経歴 ==
14歳でウラルCFへ入団。ゴールキーパーの他にも右ウインガーでプレーし、キーパーをしている間は無失点に抑えると共にチーム得点王にもなった。ベタンソスCFのユースを経て、1975-76シーズンにRCDマヨルカでデビュー。翌シーズンはデポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍し、1980年までプレーした。1978-79シーズンはSDウエスカへレンタル移籍していた。1980年にはセビージャFCへ行き、正ゴールキーパーとして1985-86シーズンまでプレー、6年間で242の公式試合に出場した。
そして1986-87シーズンに、ミゲル・アンヘル・ゴンサレスの後釜としてレアル・マドリードに移籍した。そこではリーグ優勝、スーペルコパコパ・デル・レイなど数多くのタイトルに加え、1987-88、1991-92と2度サモラ賞に選ばれた。また、1994-95シーズンは、リーグ戦において709分間ゴールを割らせなかった。これは、スペインリーグで5番目の記録である。1996-97シーズンは、ボド・イルクナーサンティアゴ・カニサレスに次ぐ第3キーパーとなってしまい、そのシーズン限りで現役を引退した。
1977年にはFIFA U-20ワールドカップのスペイン代表に招集された。1980年にはモスクワオリンピックに出場した。1983年にはスペイン代表に初選出され、1992年までの間に7試合に出場した。1984年と1988年のUEFA欧州選手権に出場し、1984年大会では準優勝した。
2009年2月にイケル・カシージャスに抜かれるまで、レアル・マドリードのゴールキーパーとしての最多出場記録(454試合)を保持していた。
引退後は、レアル・マドリードCの監督を短期間していたほか、アルジャジーラにてスポーツアナリストなどもしていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランシスコ・ブーヨ」の詳細全文を読む




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