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フランシス・ロイセール : ミニ英和和英辞書
フランシス・ロイセール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランシス・ロイセール : ウィキペディア日本語版
フランシス・ロイセール[ちょうおん]
フランシス・ロイセールFrancis Reusser1942年1月1日 ヴヴェ - )は、スイス写真家映画監督である。
== 来歴・人物 ==
1942年1月1日、スイス・ヴォー州ヴヴェに生まれる。ヴヴェ写真学校(École supérieure d'arts appliqués de Vevey)に学ぶ。同時期に同い年でのちの映画監督イヴ・イェルサンが在学していた。
卒業後、テレヴィジオン・スイス・ロマンドTSR)でテレビ番組の製作にたずさわる。当時同社には、のちに製作会社「グループ5」を設立する「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の中心人物である、アラン・タネールクロード・ゴレッタミシェル・ステーらが演出部にぞろぞろといた。ロイセールは、その後もマガジン番組(magazine、レポート番組、インタビュー番組)も多く演出している。
1968年、26歳のとき、イヴ・イェルサンら新人ばかり4人の監督によるオムニバス映画『''Quatre d'entre elles''』に参加、その一篇『''22 ans - Patricia''』で映画監督となる。主演はパトリシア・モラーズ。また、ジャック・サンドス監督の一篇『''31 ans - Erika''』にロイセールは出演している。
つづいて1969年、劇映画『''Vive la mort''』で長編映画の監督としてデビュー。前作のオムニバスの一篇に主演した女優パトリシア・モラーズと共同で脚本を書いた。撮影監督は新人のレナート・ベルタを抜擢。同年ベルタは、アラン・タネール監督の長篇デビュー作『どうなってもシャルル』の撮影監督をつとめるが、ロイセールは同作に重要な役で俳優として出演する。
1975年ジュネーヴのジュネーヴ高等視覚芸術学校(ESAV、''École Supérieure de l'Art Visuel''、現ESBA)にフランソワ・アルベラ(現ローザンヌ大学映画史映画美学科教授)とともに、音響視覚学科を設立した。同年、その新学科に入学するのが、のちのジャン=リュック・ゴダールの音響を支えることとなる録音技師フランソワ・ミュジーであった。
1976年、長篇第二作『''Le Grand soir''』を撮り、ロカルノ国際映画祭でグランプリにあたる金豹賞を受賞。本作の録音にはそれまで助手であったリュック・イェルサンを抜擢する。ベルタが撮影監督をつとめたダニエル・シュミット監督の『ラ・パロマ』(1974年)や、フレディ・ムーラー監督の『われら山人』(1975年)などドイツ語圏での他流試合の実績を買ってのことである。同年、ロイセールはタネール監督の『ジョナスは2000年に25才になる』に出演した。
二作目の成功したがしばらく間があって、1980年に前作に主演したニエル・アレストラップを主演に『''Seuls''』を撮ることになる。同作の撮影ベルタ、録音イェルサンは、前年の1979年にフランスのグルノーブルからおなじレマン湖畔の小村ロールに移住してきたばかりのゴダール監督による、商業映画復帰第一作『勝手に逃げろ/人生』の現場から帰ってきたところだった。その後次の長編映画『パッション』(1982年)を撮ろうとしているゴダールに、ロイセールは学校の教え子ミュジーを推薦〔フランソワ・ミュジー インタヴュー の記述より。〕、これが25歳のミュジーにとっての録音技師デビューとなる。
1970年代の映画界を彩る「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の一角にいるロイセールは、1999年ピエール・エテックスルイス・ブニュエルを支えた脚本家ジャン=クロード・カリエールとコラボレートした『''La Guerre dans le Haut Pays''』を始め、現在ももちろん新作を発表し続けている。にもかかわらず、現時点で、日本では一作たりとも商業公開されていない。公開が待たれる作家である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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