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フランス・クリダ : ミニ英和和英辞書
フランス・クリダ[らんす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance

フランス・クリダ : ウィキペディア日本語版
フランス・クリダ[らんす]
フランス・クリダ(France Clidat、1932年11月22日 - 2012年5月17日)は、フランスピアニスト
フランツ・リストの演奏家として世界的に知られる。また、エリック・サティの全ピアノ作品を録音している。
== 来歴 ==
ナントで生まれる。1948年、15歳の時にジェノヴァで、アンリ・ソーゲの《ピアノ協奏曲イ短調》を、エルネスト・アンセルメの指揮で演奏してデビュー〔 。パリ音楽院ではラザール・レヴィアレクシス・ロラン=マニュエルなどに師事し〔Larousse.fr 〕 、1950年に一等賞で卒業〔Answers.com 〕 。その後エミール・ギレリスなどの下で研鑽を積んだ〔。
1956年に、フランツ・リスト国際コンクール(現在のブダペスト国際音楽コンクール)に出場し、同コンクールでは19年ぶりとなるフランツ・リスト賞を受賞〔Liner notes to the Decca recordings〕。以後、活躍の場を世界へと広げることとなる。パリシャンゼリゼ劇場でのリサイタルを聴いた評論家のベルナール・ガヴォティは、『ル・モンド』紙のコンサート評で、クリダを「マダム・リスト」と讃えた〔Academies du Grand Nancy 〕 。やがて彼女は、モニク・アースセシル・ウーセロベール・カサドシュフィリップ・アントルモンらとともに、「フランス・ピアノ楽派」の代表的存在と目されるようになった〔Masters of the Piano in the Dvorak Hall of the Rudolfinum 〕。
1960年代後半から70年代にかけて、クリダはリストのピアノ曲の全集企画に取り組む〔。この企画では最終的に24枚のアルバムが製作され、その中には《メフィスト・ワルツ3番・4番》、《華麗なマズルカ》、《2つのチャールダーシュ》、《スケルツォと行進曲》など、数多くの作品の初録音も含まれていた〔 。彼女は後に同作品集によって、ACCディスク大賞とヨーロッパ・ディスク大賞を受賞している。
リスト以外の作曲家では、エリック・サティのピアノ曲全集をリリースした〔他、ラフマニノフグリーグ〔、ショパンAmazon 〕、チャイコフスキーStyle Feeder 〕、ランドスキ〔などの作品もレコーディングしている。
クリダは後進の指導にも力を注ぎ、パリエコールノルマルで長年教鞭を取った〔 。また、フランツ・リスト国際コンクールなどで審査員をつとめた〔IFLC 〕 。
2000年に公開されたカナダ映画『渦』では、彼女が演奏したグリーグの《ピアノ協奏曲》の第2楽章がフィーチャーされている〔Yahoo movies 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランス・クリダ」の詳細全文を読む




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