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ここでは、コンパニ・フランシェ・ド・ラ・マリン(仏:Compagnies franches de la Marine)とトゥループ・ド・ラ・マリン(仏:Troupe de la Marine)を中心とした、かつてのフランス領カナダの防衛軍について述べる。 ==概要== フランス植民地の防衛軍が、初めて作られたのは1622年のことで、リシュリュー枢機卿の命令によるものである。1682年、ヌーベルフランス総督に就任したジョゼフ=アントワーヌ・ル・フェブル・ド・ラ・バールは、イロコイ族や他の仮想敵から攻撃を受けた際の防衛軍がないのに気付き、フランス本国から部隊を派遣してもらうよう、正式に要請した。1683年、元々は、海外へ向けたフランス海軍の軍艦に乗り込むための「トゥループ・ド・ラ・マリン」がまず作られ〔Sutherland, p.2196.〕、フランスの海軍本部から、3部隊から成る最初の防衛軍が、ヌーベルフランスに派遣されて来た。彼らの主な任務は、入植者の安全を守ることと、毛皮貿易ので混乱を未然に防止することだった〔Compagnies franches de la Marine: 1683| 1650-1730 | New France, 1600-1730 |Chrology | The Loyal Edmonton Regiment Museum 〕。翌年には、フランス軍の正規部隊から独立した軍が派遣されて来た〔。 その後、カナダの軍は2つに分かれ、1つは陸軍的な活動、1つは海上貿易を守るための組織となって行った。これらの部隊は、年と共に力を増し、1689年から1750年の間に、カナダの駐屯部隊は、28個の中隊と、植民地兵であるコンパニ・フランシェ・ド・ラ・マリン(海軍の独立組織)とで構成された〔History and Uniform of the Compagnies franches de la marine, 1683-1760 〕。入植地には民兵もいたため、1757年までには、65人編成の40部隊が、ヌーベスフランスの様々な入植地に分散して任務についた〔。1750年代半ばには、別に24隊ほどが、主にルイブール要塞やイル・ロワイヤル、他に36隊がルイジアナで任務につき、それ以前に2、3の隊が、ニューファンドランドのプラセンシア(プレザンス)、そしてアカディアに派遣されていた〔Rene Chartrand, ''The French Soldier in Colonial America'' (Alexandria, New York, and Bloomfield, Ontario: Museum Restoration Service, 1984), 16-17.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランス領カナダの防衛軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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