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フランソワ・アポロ(François Appolot, 生年月日不明 - 2006年以降の消息不明)は、第二次世界大戦期フランスの軍人で、独ソ戦の間はドイツ国(ナチス・ドイツ)の国防軍(海軍)と武装親衛隊に所属したフランス人義勇兵。 第二次世界大戦初期はフランス陸軍第28要塞歩兵連隊()の上級軍曹であり、1940年6月、フランスの戦いでドイツ軍の捕虜となった。 1942年末、ナチス・ドイツの外国人労働者になることを選んで捕虜収容所から釈放され、東プロイセンのドイツの軍港で労働に従事。後にとある理由で職場の上司を激怒させ、強制収容所に入るか軍隊(ドイツ国防軍)に入るかの選択を迫られた結果、フランス人義勇兵という建前でドイツ海軍(Kriegsmarine)へ入隊。1944年9月、再編成に伴って武装親衛隊(Waffen-SS)へ移籍した。 第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne”)では師団司令部直属エリート歩兵中隊「名誉中隊」(Compagnie d'Honneur)の第1小隊長を務め、1945年2月下旬の東部戦線・ポメラニアへ出陣。2月25日午後、エルゼナウ(''Elsenau''、現オルシャノボ(Olszanowo))の戦いで「シャルルマーニュ」師団司令部に迫ったソビエト赤軍戦車部隊のうち少なくとも2輌のT-34を撃破した。 独ソ戦の最終局面である1945年4月末、「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵の1人となり、「フランスSS突撃大隊」(Französische SS-Sturmbataillon)に配属された「戦術学校」(Kampfschule)の第2分隊長としてベルリン市街戦に参加。市街戦中にパンツァーファウストを用いた近接戦闘で赤軍戦車を合計6輌撃破した。最終階級はSS所属武装曹長(Waffen-Oberscharführer der SS)〔〔「SS所属武装 *」(Waffen- * der SS)の名称を義勇兵の氏名と併記する場合は、「SS所属」(der SS)の部分が省略される。 例:フランソワ・アポロ武装曹長(''W-Oscha.'' François Appolot)〕。 == 第二次世界大戦初期~中期 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランソワ・アポロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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