翻訳と辞書
Words near each other
・ フランソワ・ポンセ
・ フランソワ・ポンポン
・ フランソワ・マウリス・グラネ
・ フランソワ・マジャンディ
・ フランソワ・マジャンディー
・ フランソワ・マッカンダル
・ フランソワ・マリウス・グラネ
・ フランソワ・マリー (リルボンヌ公)
・ フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ
・ フランソワ・マリー・ド・ロレーヌ
フランソワ・マンサール
・ フランソワ・ミゴール
・ フランソワ・ミシェル・ル・テリエ
・ フランソワ・ミッテラン
・ フランソワ・メニケッティ
・ フランソワ・モデスト
・ フランソワ・モーリアック
・ フランソワ・モーリャック
・ フランソワ・モーリヤック
・ フランソワ・ユーベル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フランソワ・マンサール : ミニ英和和英辞書
フランソワ・マンサール[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランソワ・マンサール : ウィキペディア日本語版
フランソワ・マンサール[ちょうおん]

フランソワ・マンサール(,1598年1月23日 - 1666年8月23日)は、フランス建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールの大叔父。ルイ13世からルイ14世の下で活躍した。フランスのバロック建築の第一人者のうちの一人であり、フランス建築上の重要な屋根の形態の一つであるマンサード屋根を世界的に広めた人物である。
== 作風 ==
マンサールはフランス古典主義を大成した建築家として、フランス建築界に残る人物である。
オーダールネサンス建築の原理そのままに用いた古典主義の中で高貴さと荘厳さを表現し、ルイ13世の絶対君主制を体現するような建築を作った。彼の習作のすべては、古代の建築をモデルとし、それに近づけるように改良を続けていた。作品の外観は、高い精度と正確さに満ち、一般的な平面の配置において彼より良い構想をした人間はいないと言われるほどである。16世紀の城館建築に比べてスケール感が大きく、それまでの建築にはないダイナミックな空間を生み出した。
しかし当時の人々は、彼の作品がフランソワ1世時代の優雅さや上品さといった特性から完全に遠ざかり、作品に雄大さを与えるために高貴さと威厳を誇張しすぎているとして非難した。これらの激しい非難にも関わらず、彼は自分自身のスタイルに関するこだわりをなくすことはなかった。また、彼は自らの才能に対しても謙虚な姿勢で、専門家に高く評価されても、奢ることはなく、常に最高の様式美への追求を続けていた。しかし、彼の高評価を得た様々な作品は現在ほぼ失われてしまい、彼の名前は碑版か、もしくはシャルル・ペローの作品でしか主に知ることはできない。今日では、ヴァル・ド・グラース教会堂の外観などから、彼の素晴らしい才能を垣間見ることができる。
さらに、彼の重要な作品であるブロワ城においては、中央のパビリオンにある一階の扉口、二階のペディメント、そして三階上にある屋根の三段階でそれぞれ正三角形の構図となっていることがわかる。これは、彼特有の構成であり、マンサールの三段構成と言われている。この幾何学的な図形を用いた構成からも、彼の古典主義思想を見ることができる。
また彼の重要な功績として、マンサード屋根を多用し、世界に広めたということが挙げられる。名前の面から、この様式を作ったのがマンサール自身であると思われがちだが、実際には16世紀にもピエール・レスコーの作品などにも見られるため、彼自身が作ったというわけではなく、単に広めた人間であると言えよう。その後、ジョルジュ・オスマンによるパリ改造が行われた際にも、フランス建築の屋根の統一モデルとして利用されるなど、フランスの建築には欠かせないものであり、極めて重要な功績である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランソワ・マンサール」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.