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フランソワーズ・デュール : ミニ英和和英辞書
フランソワーズ・デュール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランソワーズ・デュール : ウィキペディア日本語版
フランソワーズ・デュール[ちょうおん]
フランソワーズ・デュールFrançoise Durr, 1942年12月25日 - )は、フランスの元女子テニス選手。アルジェリアの首都・アルジェに生まれる。1967年全仏選手権で女子シングルス、ダブルスともに優勝を飾った。シングルス自己最高ランキングは3位。現役生活でシングルス26勝、ダブルス42勝を挙げた。
2003年国際テニス殿堂入り。
== 概要 ==
デュールの活躍した時期は、テニス界における最大の転換期「オープン化措置」(4大大会にプロ選手の出場を解禁すること)をまたぐ頃だった。1963年に女子テニスの国別対抗戦「フェデレーション・カップ」(現在の名称はフェドカップ)が創設されたが、デュールはその第1回大会からフランス・チームの代表選手となった。1965年からデュールは公式戦のシングルスで優勝回数を伸ばし、ついに1967年全仏選手権で地元フランスの女子選手としてシングルス・ダブルスの両部門で優勝を飾った。シングルスの決勝ではレスリー・ターナーオーストラリア)を 4-6, 6-3, 6-4 の逆転で破り、ダブルスも制覇して“単複2冠”を達成した。(当時はオープン化措置の前だったので、現在のような全仏オープンの名称ではなかった。)その後、2000年マリー・ピエルスが優勝するまで、同大会の女子シングルス部門でフランス人の優勝者は33年間現れなかった。
デュールは4大大会の女子ダブルスでは、1967年全仏選手権の他にも11大会で優勝を飾っている。1975年ウィンブルドン女子ダブルス決勝で沢松和子アン清村のペアに 5-7, 6-1, 5-7 で敗れた相手は、ほかならぬデュールとベティ・ストーブオランダ)の組であった。
現役引退後のデュールは数々の名誉職につき、1988年に「女子テニス協会名誉会員」に選出され、1993年には「フランス・テニス連盟」で最初の「女子テニス監督」(Director of Women's Tennis)に就任した。2003年国際テニス殿堂入りを果たしている。
デュールはまた、女子ツアーの転戦の際に愛犬を同伴した最初の女子選手としても知られる。その犬は「トップスピン」(Topspin)という名前で呼ばれ、デュールのテニスラケットをコートまで運び、当時のテニスファンの“人気者”だったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランソワーズ・デュール」の詳細全文を読む




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