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フランチェスカ・スキアボーネ : ミニ英和和英辞書
フランチェスカ・スキアボーネ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランチェスカ・スキアボーネ : ウィキペディア日本語版
フランチェスカ・スキアボーネ[ちょうおん]

フランチェスカ・スキアボーネFrancesca Schiavone, 1980年6月23日 - )は、イタリアミラノ出身の女子プロテニス選手。2010年全仏オープン女子シングルス優勝者で、イタリア人女性として最初の4大大会女子シングルスを制した選手である。2008年全仏オープン女子ダブルスで、ケーシー・デラクアオーストラリア)とペアを組んだ準優勝もある。これまでにWTAツアーでシングルス7勝、ダブルス7勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス8位。身長166cm、体重60kgの小柄な体格である。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
== 来歴 ==
1998年に18歳でプロ入り。2000年全米オープン4大大会にデビューする。予選3試合を勝ち上がり、本戦でもエレナ・ドキッチとの3回戦まで勝ち進んだ。2001年全仏オープンでは、第1シードのマルチナ・ヒンギスとの準々決勝に進出した。この大会ではイタリアのテニス史上初めて、3人の女子選手がシングルス4回戦に勝ち残り、シルビア・ファリナ・エリアリタ・グランデがベスト16に進み、スキアボーネがベスト8を記録している。こうして、イタリアの女子テニス界の発展が始まった。スキアボーネが強烈な印象を残した試合は、2003年全米オープン4回戦である。この時スキアボーネは日本杉山愛と対戦したが、試合は度重なる雨の中断で「4日間」を要する苦闘となった。杉山は、7-6, 5-7, 2-6 の逆転負けでベスト8進出を逃した。スキアボーネは準々決勝でジェニファー・カプリアティに敗れている。
スキアボーネは女子テニス国別対抗戦・フェドカップイタリア代表選手としても活躍し、2002年から代表入りした。2004年アテネ五輪では、シングルスでロシア代表のアナスタシア・ミスキナとの準々決勝まで勝ち進んだが、シルビア・ファリナ・エリアと組んだダブルスでは2回戦で敗退している。2006年、イタリアはフェドカップ初優勝を達成する。スキアボーネは決勝の対ベルギー戦でも、シングルス第1試合と最終第5試合のダブルス戦に勝ち、イタリア・チームの初優勝に大きく貢献した。2年後の2008年北京五輪にも出場し、シングルスは3回戦、ダブルスはフラビア・ペンネッタと組んで準々決勝まで勝ち上がり、単複ともに好成績を残した。
スキアボーネはこれまで、女子テニスツアーのシングルスで8度の準優勝に甘んじてきたが、2007年7月29日にオーストリアの「バッド・ガスタイン」大会決勝でイボンヌ・モイスブルガー(地元オーストリアの選手)を 6-1, 6-4 で破り、9度目の挑戦でようやくシングルス初優勝を果たした。
2008年全仏オープンで、スキアボーネはケーシー・デラクアオーストラリア)と組んで女子ダブルス決勝に進出した。2人は決勝戦でスペインペアのビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に 6-2, 5-7, 4-6 の逆転で敗れ、初優勝を逃した。スキアボーネは前年マラ・サンタンジェロに続く、イタリア人選手としての全仏女子ダブルス連覇を逃したことになる。デラクアとは2009年全豪オープンでもペアを組み、準決勝でビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組に 0-6, 2-6 で完敗した。
2009年ウィンブルドンで、スキアボーネはノーシードから勝ち上がり、初めてのベスト8に進出した。イタリア人女子選手のウィンブルドン8強入りは、2003年シルビア・ファリナ・エリア以来6年ぶりの出来事であった。この準々決勝では、第4シードのエレーナ・デメンチェワロシア)に 2-6, 2-6 のストレートで敗れた。この年、イタリアはフェドカップで3年ぶり2度目の優勝を決め、スキアボーネも決勝の対アメリカ戦のシングルス第2試合でメラニー・ウダンに勝った。
2010年全仏オープンで、スキアボーネは当地の女子テニス選手として史上初の4大大会女子シングルス優勝を達成した。決勝戦ではサマンサ・ストーサーオーストラリア)を 6-4, 7-6(7-2) のストレートで倒した。(それまでの記録は、1949年全仏選手権でベスト4に入ったイタリア人女子選手がいた。男子シングルスでは、34年前の1976年全仏オープンで優勝したアドリアーノ・パナッタの快挙があった。)
2011年全豪オープンでは4回戦のスベトラーナ・クズネツォワロシア)に 6-4, 1-6, 16-14 で勝利した。試合時間は4時間44分で女子の4大大会史上最長試合であった。大会後のランキングでスキアボーネは自己最高の4位となった。全仏オープンでは2年連続の決勝に進出。決勝では李娜中国)に 4–6, 6–7(0) で敗れ連覇を逃した。
フェドカップのイタリア・チームでも、彼女は通算勝利数(26勝19敗)とシングルス通算勝利数(22勝19敗)でチーム歴代1位記録保持者になった。4大大会でも初出場した2000年全米オープンから2015年全米オープンまで連続で出場し、杉山愛の62大会連続出場記録に迫っていたが、2016年全豪オープンの予選2回戦で敗退し、史上2位の61大会連続でストップした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランチェスカ・スキアボーネ」の詳細全文を読む




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